歴史を遡れば、1949年、蒋介石率いる国民党は、毛沢東率いる中国共産党に国共内戦で敗れ、台湾に逃れた。以来、台湾では長らく国民党による一党独裁が続いていたが、88年に総統に就任した「本省人」の李登輝りとうき氏は民主化を推進。89年には新規政党の結成が自由化され、民進党が台頭してきた。

台湾では、日本による統治が終了した45年10月25日以前から住んでいた人を本省人と呼ぶ。一方、それ以降に大陸から渡ってきた定住者は「外省人」と呼ばれ、両者は区別されてきた。

国民党は外省人がつくった政党であり、本来台湾は中国本土を奪還するまでの一時的な仮住まいという位置づけになっている。そういった経緯もあり、国民党はいまだに外省人の政党という印象が強い。

民進党は昔から台湾にいる本省人の政党だ。86年に国民党政権下で非公式に結党して以来、一貫して「台湾独立」を綱領に掲げている。

台湾の民主化以来、国民党と民進党は2大政党としてしのぎを削ってきた。2008〜16年には国民党の馬英九ばえいきゅう氏が総統になり、中国共産党との対話を重視する政策で台湾経済を潤した。一方で、民進党は強硬な姿勢を示して独立を標榜する。政党のカラーが白黒はっきりしているため、選挙では自分が支持する政党の候補者を2択から選べばよかった。

しかし、今回の総統選はこれまでとは勝手が違った。第3政党である民衆党が、ダークホースに躍り出たのだ。

民衆党は、柯文哲前台北市長によって19年に結成された。若者を中心に、国民党と民進党の2択しかないことに不満を抱える台湾人から広く支持を集め、2大政党を脅かす存在に成長した。柯文哲氏が台北市長時代に「両岸(台湾と中国)は一つの家族」と発言しているように、民衆党は対話路線である。

一時は、国民党と合流して総統候補を一本化する話が浮上していたほどだ。しかし、実際には候補者の一本化が実現せず、総統選は三つ巴の戦いのまま結末を迎えた。

総統選で国民党と民衆党が合流して候補者を一本化できなかったのは、台湾の人々の出自が影響している。

今回、外省人が「自分は外省人」という意識を持っていれば、国民党は昔と変わらず支持されただろう。しかし、外省人の2世、3世は台湾生まれで、「自分は“台湾人”」という意識が強い。従って若い世代は、いまだに外省人色が強い国民党を支持したがらない。かといって、台湾有事に巻き込まれるのは嫌なので強硬路線の民進党も支持したくない。そんな若者たちが、民衆党に投票しているのだ。

高まる緊張感に不安を覚える台湾人

なぜ多くの台湾人は中国共産党との対話を望むのか。根底にあるのは、二つの心理だ。

まず一つは、中国共産党と戦いたくないというシンプルな思いである。88〜00年に総統を務めた李登輝氏の功績の一つに、「国防役制度」の導入がある。これは理工学系の大学院生を対象に、徴兵して軍事訓練を受けさせる代わりに、軍や政府の研究機関などに技術職として勤務させる制度。事実上の兵役免除であり、台湾の多くの学生は文系ではなく理系を目指した。

なかでも優秀な理工学系の学生は米国に留学した。彼らが米国の一流大学で学び得たものが、今日の台湾でエンジニアリングが開花していることにつながっている。このような流れができたのも、厳しい軍事訓練は受けたくない、いざというときに前線で戦いたくない、そんなふうに考える若者が多かったからにほかならない。

台湾では18歳以上の男子に徴兵の義務が課せられているが、実は民進党政権下の18年、4カ月の訓練義務を残して徴兵制は一度終了している。しかし、台中情勢の緊張の高まりを受けて、22年に蔡英文さいえいぶん総統が1年間の徴兵制を復活させた。

民進党は20年の総統選で約57%の支持を得ていた。今回、民進党の支持率が約17ポイントも下落したのは、徴兵制の復活が得票率の低下につながったと見てよいだろう。とくに戦争になったとき実際に血を流すリスクが高い若者ほど、対話路線を支持するのだ。

頼清徳副総統(次期総統)。左は蔡英文総統。
頼清徳副総統(次期総統)。左は蔡英文総統。(写真=中華民国総統府/Attribution only license/Wikimedia Commons