うさぎ伝説モチーフのまんじゅうが大ヒット

寿スピリッツの前身の会社は、戦後まもなくからスタートする。父・庄市さんが、第2次世界大戦後、台湾から復員。芋アメや粟おこしを製造販売し、その売り上げやノウハウをベースにして、1952年、鳥取県米子市でキャラメル、飴玉、ドロップスの生産を行う「寿製菓株式会社」を設立した。

その後、火事で工場全焼、製品の自主回収や砂糖の値上がりなど幾多の困難を乗り越えて、1968年に山陰の銘菓として親しまれる「因幡の白うさぎ」の発売を始めた。

「因幡の白うさぎ」
写真提供=寿スピリッツ
「因幡の白うさぎ」

うさぎの形をした黄身餡の焼きまんじゅうのお菓子は、可愛くて美味しいと人気を呼び、ロングセラー商品となった。そんな会社に長男の河越さんが入社したのは1987年の事。大学を卒業し、別会社での勤務を経てからの入社だった。

今にも続く大ヒット商品となった「因幡の白うさぎ」について河越さんは、興味深い話を教えてくれた。

白うさぎは、大国主命(おおくにぬしのみこと)と八上比売(やかみひめ)の縁を結ぶ山陰の伝説。古事記にも記され、地元に親しみのある、うさぎの伝説をモチーフに「福を呼び、縁を結ぶ」縁起のいいお菓子として発売された。

「最初は目を付けていなかったが、途中から、うさぎの目は赤く付けました」と河越さん。工場見学に来た小学生の「赤い目だったら、うさぎさんもっと可愛いのに」との声を聞き、先代が「それは良い。早速取り入れよう」と二つ返事。それ以来、お菓子のうさぎの目は赤くなったという。

鳥取県米子市にある寿製菓の本社
撮影=プレジデントオンライン編集部
鳥取県米子市にある寿製菓の本社

異例の「日持ち5日間」でも売れ続けた

その上、当時のお土産用の菓子の常識だった「日持ち優先」「味は二の次」の常識をくつがえして、「因幡の白うさぎ」は、5日間の日持ちと甘すぎず口当たりのいい味の良さをとことん追求して作られた。まだ流通整備や酸化防止技術が確立されていない時代の話。大英断である。

先代は「味を追求すると日持ちしないのなら、日持ちがしない商品を創って、味の良さをとことん追求してみようじゃないか」(河越誠剛『全員参画の最強理念経営』、PHP研究所刊)と社員を鼓舞した。

「日持ちしない商品は売れない。お店も置いてくれない」。反対する営業マンと本気の喧嘩を繰り返しながらも新商品を開発して売り続ける先代。

しかし、無謀との予想に反して新商品は売れ続けた。先代の逆転の発想が超ロングセラーの大ヒット商品を生んだのだった。この良いものをつくって、お客様に届ける、「収益第一から、美味しさ最優先」という先代の考えは、息子の河越さんと社員にも受け継がれて社の基本理念となっていく。