タワーマンションの足元に佇む築100年の家

ある日、物件の風入れに行く筑前さんに同行させてもらった。「定期的に窓を開けないと空気が淀んじゃうから」と、1〜2カ月に1回は来ているという。家が建つ細い路地の先には巨大なタワーマンションが見えて、現在の東京のコントラストが凝縮されているように感じた。

約20年間誰も住んでいないと聞いて、これまでの空き家取材の経験から多少身構えていたが、室内は特に大きく荒れてはいない。「ふすまなんかは完全にボロボロで、そのままの状態です」というが、かび臭かったり畳が湿気でたわんでいたりすることもなく、空き家として状態は良いほうだ。定期的な管理の賜物だろう。

この日もガラスの引き戸を乾きするなど簡単な掃除をしていた。とはいえたしかに障子や襖はビリビリに破れて穴が空き、引き戸の建付けも悪い。年季の入った木造の家は、手入れを止めたらすぐに劣化が進むことは想像に難くなかった。

持ち帰ってきた家財で自宅の一室が埋まる

「子どもがいればね、その子に遺したいと考えるのかもしれないし、逆に『なんとかしてもらおう』ってこのまま放置していたかもしれません」

子どもがいない筑前さんは、自分の代でなんとか解決したいと考えている。そのために荷物の一部を自宅に引き上げるなど少しずつ整理も進めてきた。見せてもらうと、自宅の1部屋は持ち帰ってきたもので埋まっている。

ブルーシートを敷いてその上に置いた荷物を開けて確かめ、布で拭く。百貨店の印入りの畳紙には着物が包まれていた。祖母のものだろうか。「意外ときれいに残っているな」と懐かしげだ。レコードや誰かの奉公袋などの細々したものに混じってアルバムがあった。黄ばんだ台紙に貼られた白黒写真の中で、幼い筑前さんが澄ました顔をしている。背後にはあの家のベランダや台所が写り込んでいた。「アルバムを捨てられないのと同じ」という言葉に込められた葛藤が、より重みを増す。

「私もいつコロッと逝くかわからないですから、何かしないと家がかわいそうだと思っているんですが、売るのは家族に申し訳が立たないし、リフォームするのも家の思い出が変わってしまう気がして決断できないんです。荷物を捨てるのも大変で、みんなどうやっているのか不思議に思います」