むしろ歓迎されていた

そして、100名以上もの入部希望者がひしめく明大野球部に入部し、厳しいレギュラー争いに勝ち抜こうとする部員にとっては、丸刈りにするかどうかは重要な問題ではなかったと思われる。

そのような部員にとって、髪型を理由に入部を諦めるものが存在することは、それだけレギュラーを争うライバルが減るという意味で、歓迎すべきものでもあったのではないだろうか。

さらに1950年代以降、早大・法大・立大野球部でも部員の丸刈りが採用された。

東京六大学で野球部員の丸刈りが主流になっていったことで、これらの大学野球部出身の指導者が高校・中学の野球部員にも丸刈りにすることを求めたり、野球部員=丸刈りのイメージが定着・拡大し、丸刈りではない生徒は野球部の入部を認めなかったりするような慣習が拡大していったのかもしれない。

「小さなサディズム行為」

野球部をはじめとした日本の運動部では、しごき、給水禁止、丸刈りなど、非科学的な指導や不合理な慣習が強制されるようになったのは、なぜだろうか。

中村哲也『体罰と日本野球』(岩波書店)
中村哲也『体罰と日本野球』(岩波書店)

アメリカ人文化人類学者デヴィッド・グレーバーは、会社の上司がおしゃべり禁止などのルールを定めたり、小さな作業ミスを指摘したりする「小さなサディズム行為」は、純粋に恣意しい的な権力関係であることを突きつける手段であり、その行為が無意味であるからこそ「だれがボスなのかを監督者が思い知らせるための屈辱の儀式」として「この儀式が部下を部下たる地位に置く」と指摘している(7)

グレーバーの指摘は、しごきや給水禁止、丸刈りの強制といった野球部内の慣習にも当てはまる。

こうしたルールの強制は、それを通じて多すぎる部員を削減できるだけでなく、そうした権力行使を日常的に繰り返すことで部員たちに「だれがボスなのか」を理解させるものだったのである。

それ自身としては無意味な規則、合理的根拠のない指示であっても、むしろ、それが無意味であり、不合理であるからこそ、規則や指示が監督や上級生から発せられ、部員や下級生がそれを守ることを通じて、部内の上下関係が作られ、維持されていったのである。

しごきや給水禁止、丸刈りの強制などの慣習は、そのような隠れた目的をもち、その効果が実感されていったからこそ、様々な亜種を生みながら、全国に広がっていったのだと思われる。


(1) 相賀徹夫編『日本大百科全書5』1985年,小学館,713頁,および「バリカン」『日本大百科事典』ジャパンナレッジ.
(2) 大津尚志『校則を考える―歴史・現状・国際比較』2021年,晃洋書房,15頁.
(3) 前田和男『男はなぜ化粧をしたがるのか』集英社,2009年,134-137頁.
(4) 小林哲夫『高校紛争1969-1970 「闘争」の歴史と証言』中央公論新社,2012年,97-98 頁.
(5) 「丸刈りに断固抵抗 都下・大和二中の7生徒」『朝日新聞』1968年5月9日付朝刊.小須田実「カツオくん,なぜ長髪にしないの」『朝日新聞』1970年1月6日付朝刊,および「特集カツオ君の坊主頭」同紙1970年1月18日付朝刊.
(6) 島岡吉郎「ゆっくり話そう 坊主礼賛論」『朝日新聞』1970年3月1日付朝刊.
(7)グレーバー,D.,酒井隆史・芳賀達彦・森田和樹訳『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』岩波書店,2020年.,164-165頁.

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