なぜあのとき、法科大学院に進んでしまったのか

現在の状況を改善するためのもうひとつの方法は、過去の行動を修正するのではなく、過去の行動に対する見方を変えるというものだ。私自身の経験をひとつ紹介しよう。

三〇年前、大学を卒業してほどなく、私は法科大学院に進んだ。私はそのことを後悔している。別に悲惨極まる経験をしたわけではない。けれども、お粗末な選択だったと言わざるをえない。

もっと賢明な選択をしていれば――たとえば、もう少し時間をかけて判断するなり、まったく別の道を選ぶなりしていれば――もっと充実した人生を送り、もっと世界に貢献できたのではないか、職業生活の初期にそれほど苦戦せずに済んだのではないかと考えずにいられないのだ。

けれども、妻と出会ったのは、この法科大学院でのことだった。妻と巡り合えたことは、私の人生における最大の勝利と言っても過言でない。法科大学院に入学したことは、取り消しようがない。しかし、「もし~~していれば……」という発想を「せめてもの幸いは……」という発想に転換すれば、痛みが和らぐ。法科大学院に入学したのは失敗だったかもしれないが、少なくともそのおかげで妻と出会えた、と考えるのだ。

大学の階段教室で授業を受ける学生たち
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「せめてもの幸いは…」と考えるクセをつける

「せめてもの幸いは……」と考えたとしても、将来の行動が変わったり、今後のパフォーマンスが向上したりするわけではない。しかし、現在に対する見方を変える役には立つ。

「ワールド後悔サーベイ」というウェブサイトでは、元の夫と結婚したことを人生最大の後悔として挙げた女性が何人かいた。しかし、子どもがいる女性たちは、失敗だった結婚生活で生まれた子どもをとても愛していた。

「役立たずの男と結婚したことは後悔している。でも、せめてもの幸いは、かわいい子どもに恵まれたこと」と、こうした女性たちは言う。雲間から差し込む一筋の光を見つけたからと言って、雲が存在しなくなるわけではない。それでも、雲に対する見方を変えることができる。