意味にとらわれた人の症例や副産物

現在の日本には、ハマスの過激派や特攻隊員に比べれば、のほほんとした人が多いけれども、多くの人が「人生には意味がある」という病にかかっている点では選ぶところがないような気がする。

親や学校の先生は、子どもたちに人生の目的を押しつけようとする。素直な子どもはそれに誘導されて、児童生徒の頃は一所懸命勉強して、一流高校から一流大学に入ることが、とりあえずの目標だと信じ込まされる。

こういう人の中には一流大学に入った途端に目標がなくなって、虚脱様態になる人がいる。かつて5月病というコトバが流行ったことがある。受験勉強を勝ち抜いた人が落ち込む、「意味を求める病」の一つの症例を表すコトバである。

就職をして働くようになると、今度は会社の中で出世をすることや収入を増やすことが人生の意味となる人がいる。こういう人が挫折をすると、本文で詳述するが、いわゆるミッドライフクライシス(中年期の精神的な危機)に陥って、最悪の場合は意味のない人生を生きていても仕方がないという思いにとらわれて、自殺しかねない。

人生には意味があるべきだと思い込むからそういうことになるのであって、「人生には取り立てて重要な意味などない」と思えば、今一番楽しいことをすればいいわけで、自殺をする選択はなくなると思う。

「人生の意味」は世間に流通する物語であって、生きる方便として適当に利用するのは、別に悪いことではないけれども、マジに信じるとろくなことにはならない。「みんなの幸せのために尽くすのは素晴らしい人生だ」「地球の環境を守るために努力するのは素晴らしい人生だ」「日本の発展のために尽力するのは素晴らしい人生だ」とか言ったプロパガンダはみんな話半分で聞いたほうがいい。少なくともこういった言説に普遍的だったり超越的だったりする価値はない。

自分が信じた人生の価値を絶対的だと思い込んだ人の最大の欠点は、自分の思い込みに反する人をあたかも人類の敵のごとく攻撃することだ。あるいは自分の信念に沿うような行動をしろと他人に対して強要することだ。

たとえば、旧統一教会は信者や信者の知人に高価な壺を売りつけるという阿漕あこぎな商売をしていたが、新興宗教の熱心な信者は自分の信念を他人に押しつけることを善行だと思っているので、こういう人にはなるべく近づかないことだ。

池田清彦『人生に「意味」なんかいらない』(フォレスト出版)
池田清彦『人生に「意味」なんかいらない』(フォレスト出版)

自称・環境保護運動家の中にも、自分の信念に反する行動を悪の権化だと思っている人も多くて、結構閉口する。有名なのは「シーシェパード」で、クジラを捕獲する人に対してはどんな手段を使って攻撃してもいいと考えているようで、端的に言えばテロリストだ。「人生を賭けてクジラを守る」との本人が素晴らしいと信じている物語の先に待っているのは、テロというのも皮肉な話だ。

最近も、アサギマダラ(ほぼ日本全国に分布するマダラチョウ科の仲間の蝶)に油性マジックでマークをして渡りの研究をしている人を、生物虐待だと口を極めて罵っていた人がいたが、意味を求めるというよりも、この場合は「正義を求める」という病がこじれると、ここまで惨くなるという典型例で、救いようがないな。他人の楽しみの邪魔をするのが人生の生きがい、という人が何だか着実に増えているような気がして、これも「意味を求める病」の副産物だ。

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