タイトルが書籍を手にとるきっかけに

ヘッドラインというものは、該当情報の内容のもうひとつ奥にあるレイヤー(レベル)に置いてある詳しい情報ファイルをあける気にさせるためのフラッグであって、トリガー(引き金)なのである。

かの孫子の兵法このかた、戦国の武将たちはグループごとに戦旗や旗指物はたさしものや馬印をかかげた。むろん味方のためでもあるが、敵をあざむくためにも活用した。それはフラッグが際立った情報力をもっていたからである。そうだからこそ、それぞれの陣の軍師たちは、旗指物を目印にどのように戦列を組み立てるか、そこに最大の熟慮を加えた。

ヘッドラインよりももっと単純な目印はタイトルだ。

書籍のタイトルはその典型的なもので、司馬遼太郎の『この国のかたち』というタイトル、エリック・ラーナーの『ビッグバンはなかった』というタイトル、立花隆の『サル学の現在』というタイトルで、読者はタイトルに惹かれてその本を書店の棚から手にとってパラパラと見る。

本棚から本を手にとる人
写真=iStock.com/Dima Berlin
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「情報の箱」をあけさせるための仕掛け

一方、たとえば『ソフィーの世界』というタイトルは、それだけでは恋愛小説なのかサスペンスなのか哲学書なのか、わからない。著者が知られていないことも多い。そこで出版社はそこにサブタイトルをつけ、さらに“腰巻”とよばれる帯をまく。ヨースタイン・ゴルデルの『ソフィーの世界』では、サブタイトルが「哲学者からの不思議な手紙」、帯には「世界中で読まれている哲学ファンタジー、あなたはだれ?」と訴える。これでだいたいの見当がつく。

タイトルやヘッドラインは編集の何たるかをあらわす最もわかりやすい入口だ。タイトルやヘッドラインは、ある情報の一部の特徴を示しているだけのものでありながら、ユーザーをめぼしい「情報の箱」に近づかせるためのアトラクティブ・フラッグなのである。ユーザーはそのアトラクティブ・フラッグに気を引かれながら、雑誌や書籍やテレビという「情報の箱」を次々にあけていく。