箱根中継生みの親が後輩に言い残した3つの教訓

なぜ、中継としてこれだけの強さを発揮できるのだろうか? 坂田氏は自身が中継から退く時、後輩たちにこう言い残したという。

1 テレビ中継が箱根を変えてはいけない
2 チームと選手にエールを送る放送に
3 中継“している”ではなく“させて頂いている”という感謝の気持ちを持つ

この精神は、いまだに受け継がれているように思う。特に、競技に関してはテレビが箱根駅伝の競技そのものを変えたという痕跡はない。

そのかわり、日本テレビの中継は駅伝を取り巻く社会を変えた。いま、箱根駅伝は学生スポーツでナンバーワンの社会的影響力を誇っている。ちなみに学生スポーツの歴史では、大正時代から昭和50年代前半までは東京六大学野球が圧倒的な力を持ち、数々の名選手を生んできた。長嶋茂雄(立大)を筆頭に、星野仙一(明大)、田淵幸一(法大)、江川卓(法大)、岡田彰布(早大)……。

そして1980年代は大学ラグビーの絶頂期で、雑誌には大学ラグビーの特集が組まれた。松任谷由実が『NO SIDE』を作ったことからもそれはうかがえる。早稲田、慶應、明治、同志社といったラグビー強豪校のブランド価値にラグビーは少なからず影響を与えていた。

そしてそこに箱根駅伝が加わり、年々、影響力を増してきた。コンテンツとして大きな魅力を持っているということは、様々な波及効果を及ぼす。この大会の社会的影響力を、大学経営陣は見逃さなかった。

大学も「陸上長距離」の強化を始めた

テレビ中継が始まって間もない時期、そして21世紀を前に、少子化の時代を迎える日本で、各大学は生き残り戦略を立てざるを得なくなった。大学の統合、そして女子大学新規募集停止などは、時代の流れの一部である。

新世紀を迎えるのをきっかけとして、長距離ブロックの強化に乗り出した学校もあった。

なかでも成功を収めたのは、青山学院だろう。青学大の経営陣は、強化指定部だった野球部、ラグビー部に対する投下予算を減らしてまで、陸上競技の長距離に特化する戦略を採った(現在も野球、ラグビーともに健闘を見せている)。

この集中投資は、言うまでもなく大成功を生んだ。

面白いもので、青山学院の選手たちは、青学の都会的な雰囲気を醸し出していた(東京都出身の選手はほとんどいないにもかかわらず)。原晋監督は言う。

「やはり、ブランドイメージは大切です。青山学院という学校が持つブランド力、発信力を選手たちも体現しないといけない。私は、青学にふさわしい選手に声をかけさせてもらっています」

青学大に限らず、強化に本腰を入れた学校がこれほどまでに増えたのも、日本テレビの中継があったからだ。競技、大会の本質を変えずして、社会を変えたのは大きな功績だと思う。