憧れの新婚生活は、まさかの義祖父母と義両親との同居。平成・令和の時代に、あまりに古い考え方を押し付けてくる義家族の面々に20代の長男嫁は我慢を強いられる。夫もあまり頼りにならない。ある時、堪忍袋の緒が切れた嫁は、離婚届を残し、3人の子を連れて義実家を飛び出した――。
哺乳瓶でミルクを飲む赤ちゃん
写真=iStock.com/YsaL
※写真はイメージです
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいる・いないに関係なく、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

義祖父母と義両親と同居

中国地方在住の七瀬信子さん(仮名・50代・既婚)は、金融系企業に勤める父親と、電気機器メーカーに勤める母親が21歳で知り合い、22歳で結婚。その翌年に産まれた。2歳下には妹が、5歳下には弟が産まれ、仲の良い家族だった。

やがて七瀬さんは、高校の看護科を卒業すると、高等学校の専攻科に進み、20歳で看護師になった。

19歳の頃、共通の友達の集まりで5歳上の金融系企業に勤める男性と知り合い、翌年結婚。幸せな結婚生活が始まるはずだったが、最初からつまずいた。

結婚したら夫家族と別居する話だったにもかかわらず、当時60代後半の義祖父母から猛反対に遭ってしまう。それならばと、義実家の400坪ある広大な敷地内の物置小屋をリフォームして住もうかと提案するも、「敷地内に家が2つもあるなんて世間体が悪い」とこれも拒まれた。

「きっと、自分たちは孫夫婦にも大切にされていると世間にアピールしたかったのだと思います。土地が義祖父の名義なので、義祖父母と義両親から反対されたら諦めるしかありませんでした……」

結局、夢見ていた新婚生活は、義実家で60代の義祖父母と、40代後半の義両親と完全同居になってしまった。

そんな中、七瀬さんは21歳で長男を出産し、22歳で長女を、24歳で次男を出産。看護師の仕事を続けることを希望していた七瀬さんは、出産後2カ月ほどで仕事に復帰した。いずれも夫は出産に立ち会い、子育てにも協力的だった。ミルクをあげたり、オムツの交換をしたりすることはもちろん、時々は洗濯もしてくれた。

義実家では義祖母が家事全般を取り仕切っていたため、七瀬さんは看護師の仕事に専念することができた。