県議団団長は自民党の「左派」だった

さて、この条例案に対してネット上では、「やはり自民党は宗教団体と関係があるからダメなんだ」「右派だからだ」「『親学』の影響がある」などという声が渦巻いているのを見て、私は正直にいって虚を突かれた。

「なるほど、ひと昔前なら確かにそういうふうに解釈しただろう」ということを思い出した。確かに、そういう側面がまったくないとまではいえない。

しかし自民党県議団の団長の田村琢実議員は、埼玉県のいわゆるLGBT条例、性の多様性条例を成立させた議員でもある。また、圧力をかける宗教団体を批判し、その圧力をはねのけたことも公言している。いわば、稲田朋美議員と同様、与党自民党における「左派」なのである(稲田氏を、「左派」と書く日がくるとは、まさか数年前には思いもしなかったが)。

アメリカのまねではないか

この条例案を見て、即座に「アメリカのまねだな」と思った。

基本的にアメリカでは、小学生をひとりで家に置いておくことは、違法であり、虐待にあたる。虐待には、場合によっては通報義務がある。アメリカでは、どんどん親の責任が重くなってきている。パートナーが子どもの虐待をしているのに通報することなく「見て見ぬふり」をしたりすることも、罪を問われる場合がある。たとえ本人がパートナーからの暴力(DV)の被害者であったとしても同様だ。子どもへの虐待加害者よりも、さらに重い罪に問われることすらある。

こうしたアメリカの枠組みをそのまま日本に輸入したのだろう、というのが条例案をパッと見た感想だった。

もちろん、アメリカではひとりで子どもが出歩くことなど、治安の問題からして考えられないことである。学校にはスクールバスがあり、家の前まで送迎をしてくれる。私立校に通わせていたり、バスがないとしても、親が車で出勤するついでに学校に寄るというスタイルを取っていることが多い。

通勤も出勤も、朝早い。移民のベビーシッターがおり、送迎を頼むこともできる。こういった社会の条件があるなかで、システムが構築されている。

それをそのまま、日本にもってきたとしても、うまくいかないのは道理である。ただでさえ待機児童や学童不足が嘆かれているのに、「子どもにつきっきりでいるべきだ」とは、非現実的もいいところである。

スクールバスに乗り込むアメリカの子供たち
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