東京・有楽町に56年続く理容店がある。客席は13台。料金はカット、洗髪、顔剃で3400円。「ニュー東京」のオーナー・小山純子さんは「1000円カットが出てきたときは大変だった」と振り返る。なぜいまでも客足が途絶えないのか、ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く――。

※本稿は、野地秩嘉『サービスの達人に会いにいく プロフェッショナルサービスパーソン』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

東京・有楽町で56年続く理容店「ニュー東京」。中央はオーナーの小山純子さん
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東京・有楽町で56年続く理容店「ニュー東京」。中央はオーナーの小山純子さん

1970年、理容店の料金は500円だった

髪結い、散髪屋、床屋、理髪店といくつか名称を持つ理容店は、かつて商店街にはなくてはならない存在だった。現在、60代の後半以上の紳士や、あるいは淑女は小学校の頃、近所の床屋さんでカットしてもらった経験があるはず。それは、昭和の中頃まで小学生、あるいは中学生でも男女の区別なく誰もが理容店でカットしていたからだ。

大人の女性でも顔や襟足を剃ってもらうために理容店を使っている人は少なくなかった。美容院は髪の毛をカット、ブロー、パーマをかけるところで、カミソリを使った仕事は理容師しかできなかったこともある。現在でも、美容師ができるのは化粧に付随した軽い程度の顔剃りまでだ。

昭和の後期、大阪万博が開かれた1970年、町の理容店の料金は500円が標準だった。

わたしは世田谷区に住む中学校1年生だった。「はい、これ」と母親から渡された岩倉具視が印刷された500円札(注:500円硬貨の発行は1982年)を持って青と赤のサインボールが回る床屋さんへ行く。すると、おじさんの理容師がバリカンで坊主頭にしようとするので、泣いて抗議して、スポーツ刈りにしてもらった。

理容店の数は美容室の半分以下に

高校生になると私服だったこともあり、好きなように髪型を変えた。最終学年になってからチリチリのアイロンパーマにして、アロハシャツにプカシェルを首に巻いて登校したら、母親に泣かれた。大学生ともなると美容室だ。その後、高倉健さんから勧められた品川のバーバーショップ佐藤へ行き、今は川淵キャプテンが推奨するニュー東京。また、今でもたまに格安の1000円カット店も使うことがある。これが昭和生まれのおじさんの理容店の利用遍歴である。

さて、2021年の数字になるが、全国の理容店の数は11万4403軒。1980年代から減り続けている。一方、美容室は増えている。理容店よりも多い26万4223軒で、過去最高の軒数になっている(令和3年度 衛生行政報告より)。

理容店が減少している理由は、従事する理容師の高齢化による廃業が多い。男性が美容室でヘアカットするのが普通になったことも影響している。そして、注目すべきは理容室の店舗数のなかには「1000円カット」と呼ばれる短時間に安価でヘアカットをするチェーン店が含まれていることだ。それを勘定に入れると商店街にある町の床屋さんは数字以上に少なくなっている。

今、個人が経営する理容店は「あと何年、続けることができるのか」とあきらめの境地で経営しているのではないか。

ただ、そういった状況下でも、奮闘し、老若の客を集めているのが、有楽町のニュー東京なのである。