モスバーガーが台湾の店舗数を増やしている。ファストフード業界としての参入は後発だったが、ケンタッキーを抜き、マクドナルドに次ぐ2位となる305店舗を展開している。なぜモスは台湾で人気になったのか。ライターの三浦愛美さんがリポートする――。
台湾にあるモスバーガー新生店(第1号店)
写真提供=モスフードサービス
台湾にあるモスバーガー新生店(第1号店)

テリヤキ、とんかつと並んで日本食の代表に

日本にインバウンド客が戻ってきた今年の夏は、どこへ出かけても外国人客でごった返している。数年ぶりの日本食に外国人が歓喜する中、台湾から訪れた人々が帰国後に漏らす感想に、「モスバーガーを全然見かけなかった」というものがあるという。

現在、日本国内で1292店舗あるモスバーガーは、アジアを中心に海外でも458店舗を展開している。その中でダントツ多いのが台湾の305店舗だ(シンガポール・香港はそれぞれ47店舗、タイ28店舗、韓国15店舗、中国6店舗)。台湾では「摩斯漢堡」と呼ばれ、ファストフード業界でマクドナルドに次ぐ2位につけている。

日本の九州より小さな面積に、2300万人程度が暮らす台湾。そこに305店舗のモスバーガーとくれば、日本で暮らしているよりはるかに遭遇率は高い。かつ立地も空港内や駅構内など、高集客立地に出店しているため、必然的に台湾人のモス認知率は高くなる。

「いまや台湾では、〈テリヤキ〉〈とんかつ〉と並び〈モスのライスバーガー〉が日本食の一端として人々に認知されています」「タクシーに乗ってもどこどこのモスへ、と告げれば誰でもわかる」と語るのは、長年台湾でモスバーガーの快進撃を見守り続けてきたモスフードサービス国際本部の福光昭夫氏だ。

後発ながらどうやって店舗数を伸ばしたのか

台湾でモスバーガー(台湾名:摩斯漢堡)を展開する「安心食品服務(股)」は、1990年に日本のモスフードサービスと、台湾の大手電機メーカーである東元電機グループの合弁会社として設立された。その「安心食品服務(股)」で、福光昭夫氏は、当時、海外事業部長として台湾に赴任していた櫻田厚前会長の指揮の下、長年商品開発や店舗開発に関わってきた。

「実は当初、モス創業者の故・櫻田慧は、アジアでの出店は計画しておらず、ハンバーガーの本場、アメリカでの出店を夢見ていたんです。ところが85年に、若き経営者たちが集う会議『ヤング・エグゼクティブ・オーガニゼーション』が台湾で開催された際、東元電機の社長、黄茂雄氏と出会い、意気投合。黄氏から『ぜひ台湾でモスバーガーを出店したい』と猛アプローチを受けて、91年に第1号を出店した背景があります」

黄氏は日本で慶應義塾大学を卒業している親日家だ。「パートナーは信頼に足る人物を」と意識していた櫻田氏の、信頼も厚かった。

当時、すでに台湾にはマクドナルド(現在約400店舗)やケンタッキーフライドチキン(同約150店舗)など、他のファストフード店も出店を始めていた。後発組としてのモスが、ケンタッキーの2倍の店舗数にまで伸ばしていった秘訣ひけつはどこにあるのだろう。

福光氏は3つのポイントを指摘する。「味覚の現地化」「朝・昼・晩の3食モスバーガー」、そして「物販商品の注力」だ。