もちろん、それによって誰かを不快にさせてしまうことは良くないことですし、相手に対しての謝罪やなんらかの埋め合わせは必要でしょう。しかし、それが不特定多数にさらされることによって、まったく関係ない人からの批判・中傷までが一挙に襲いかかってきます。

それは、心のHPが根こそぎ奪われてしまうほどの恐ろしい攻撃です。一つの失敗で、予想をはるかに超える範囲から、社会的に抹殺されかねないほどのダメージを受けてしまうリスクがある。

他人に踏み込むことが難しくなった

衆人環視の中で、コミュニケーションの失敗は致命的になりえます。そんな中で、他者を心から信頼したり、自分の本音や人間性を相手にさらすこと、他者に踏み込むことは危険なことだと感じる人が増えたり、他者に対する慢性的な不信感が広がったりするのは、当然の流れのように感じます。

コミュニケーションの高度化・難度の上昇はもはやとどまることを知りません。他者との交流そのものに不安を感じて、腰が引けてしまう、ストレスに感じてしまうという人は、ますます増えているように感じています。

さらに、コロナ禍により、ソーシャルディスタンスが重視され、他者と飲食を共にする機会が減り、テレワーク化などが進んだことも、人と人を遠ざけ、信頼関係が育まれにくくなる傾向に拍車をかけています。実際に、オンラインでのやり取りではコミュニケーションの満足感を感じにくい、という報告もあります。

渋谷のスクランブル交差点
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リアルな人間関係に対して回避的な人たち

心療内科医としてさまざまな患者さんと話していて感じるのは、特に若い世代に、リアルな人間関係に対して回避的な人が増えているということです。

親身になって他者の話を聴いたり、自分の話を聞いてもらったりして、「わかるよ」と深く共感し合うようなコミュニケーションに、苦手意識やしんどさを感じる。たとえば「結婚」のような、お互いが長く深くコミットしあうような関係性をなるべく避けたいと思ってしまう。

誰かに何かを頼むくらいなら、自分で全部片付けたい。

できれば、他人に借りを作りたくない。

心療内科を訪れる患者さんの中に、そうした「回避的な」コミュニケーションのスタイルを持った方が多いのです。

心身にダメージが積み重なったときでも、苦痛を誰かに相談するわけでもない。

そのうち、つらいかどうかもよくわからなくなってくる。

下痢や片頭痛などの謎の体調不良があらわれたり、動けなくなったりしてしまう。

このようなパターンのストレスを訴える方が、確実に増えてきています。米国の精神科医アミール・レヴァインは、こうした「回避的な」コミュニケーションスタイルをとる人が約25%いると報告しています。日本の場合の詳しいデータはありませんが、個人的な所感としてはおそらく25%よりも多く、しかも現在進行系で増えているのではないかと考えています。