隣の生徒に「おはよう」も言えない人見知り

「すみませーん、間違えました!」
「どうしたの?」
「70じゃなくて7でした」

上司は雑な字を書く人だったので、縦書きにした「ヶ」が「▽」のようになっており、それを私は「0」だと勘違いしてしまったのでした。

本当に恥ずかしい間違いでした。しかも、一歩間違えば大臣のクビが飛びかねない重大なミスです。自分ひとりで全部やり直すべきだと思いましたが、職場の先輩たちは文句ひとつ言わずに、黙々とページの差し替え作業をしてくれました。

その姿を見て、この人たちはつくづくプロなのだと思いました。作業を優先するために、私を一切責めることなくミスをカバーしてくれたのです。私にはそんな先輩たちが、ありがたいというよりも、むしろ眩しく見えました。

私はそもそもひどい人見知りで、高知から東京にひとりで出てきた時は、毎日毎日、見知らぬ人と接するのが怖くて仕方がありませんでした。大げさでなく、中学校、高校では、隣の席の子に「おはよう」という挨拶すらできないような子どもだったのです。

このまま誰とも話せなかったら、本当にひとりぼっちの人生を送ることになってしまうという危機感を持ちました。もしかすると、人と話さないわけにはいかない職場というものが、自分を変えてくれるかもしれない。これは、自分を変えるチャンスかもしれないとも思っていました。

ですからあの時、大声で「間違いました!」と言うことができて、本当によかったと思うのです。あの大失敗のおかげで、私は「もう、何があっても恥ずかしくないぞ」という気持ちになれた気がするのです。

高知大学を卒業後に上京。大学卒業まではずっと人見知りだった。
撮影=今村拓馬
高知大学を卒業後に上京。大学卒業まではずっと人見知りだった。

新人部下に言い続けた「もうちょっと謙虚にね」

入省5年目、28歳のときに係長に昇進しました。かなり厳しめの女性の上司の下、入省したばかりの男性の部下がひとりというラインでした。

この部下の男性、オードリーの春日さんみたいに体格がよくて、やはり春日さんのようにいつも胸を張って歩く人でした。そのせいで、どうしても偉そうに見えてしまうんですね。彼はとても頭がよくて優秀な人ではあったけれど、私はいつも「もうちょっと謙虚にね、もうちょっと丁寧ね」と彼に言い続けなければなりませんでした。

役所というところは細かな決まり事がたくさんあって、おそらく彼には、「こんなこと、本当に必要があるの?」という思いもあったのでしょうが、ともかく、彼には細かいルールや行儀作法など教え込まなくてはならないことが山ほどあったのです。