異性とは無縁の学生時代を終え、東京へ

鹿児島生まれの梓さんは3歳の時、両親が離婚して以来、母親と2人暮らしだった。20歳になるまで、運転士の父親は養育費を払ってくれていたが、ビジネスホテルで働く母親の収入は夜勤をしても高くなく、生活の余裕はなかった。そのため、普通科高校に入学すると、ひとりっ子の梓さんはすぐにアルバイトに明け暮れた。

高校は共学になって初年度に入学したため、クラスに2人しか男子生徒がいなかった。放課後は、アルバイトで精いっぱいだったので、男の子に意識がまったく向かなかったそうだ。男の子とつきあうどころか、好きになる経験もなく、学生時代を過ごしてきた。

高校時代最後のアルバイトをしていた老舗しにせ旅館にそのまま就職したが、給料は高くなく、飲食店や営業など、3年間転職を繰り返していた。

21歳の時、「あてもないのに思いきって」東京に1人で出てきたのは、もっと給料の高い仕事を求めてだった。飲食店、コールセンター、派遣社員、一流ホテルのヒルトン東京の宴会場でも派遣で働いていた。収入は鹿児島にいた時よりは少々上がったが、手取りは月20万円を超えず、しかも東京23区内の家賃は最低でも8万円前後。メインの仕事を転々としながら、副業も転々としてダブルワークをしていた。

「まだ自分にはできないと思ってました」

梓さんが働いていたバーは、奇抜な内装やインテリア、派手というか強烈個性ファッションの従業員という特別な店内で、彼女だけは染まらず、清楚な姿で、当時別の取材で訪れた私を安心させてくれた。

そもそも梓さんが、この店へ来たのは、仕事仲間の女性に連れられてだった。ダブルワークで仕事をしながらも常にセカンドの仕事を探している時だったので、ママの「手伝ってほしい」という提案にすぐに乗ったというわけだ。

処女であることと、お酒が飲めないことを最初にママに言ってあったため、夜の飲食店ではよくあるように強引にアプローチをかけてくる酔客がいても、ママが間に入ってしっかり守ってくれた。アプローチをしてくるお客のなかで、したいと思えるような人はいなかったのだろうか。

「したい……とは思わなかったですね。したいというか、まだ自分にはできないと思ってました」

梓さんは言葉を選びながら、ゆっくりと言った。