ご縁の深い「マイ神社」をつくってほしい

神社に行きつづけると、だんだん深いご縁を感じる神社や神さまがあらわれてくるものです。いわゆる成功者とよばれる人の多くは「マイ神社」があります。

このマイ神社は自分のルーツやそのときの苦境と大きく関わってきます。プロローグでお話しした出光佐三いでみつさぞうのマイ神社は宗像むなかた大社でしたが、もともと宗像郡(現在の福岡県福津市)の出身で、子どものころからの信仰でした。

いわゆる「産土神うぶすながみ」です。産土神は、母親が自分を産んだ当時に住んでいた土地の神さまです。生まれ育った土地の波動は、自分に大きな影響を与えます。子どものころからなじみのある神社・神さまがそのままマイ神社・マイ神さまになるというのは、ごく自然なことでしょう。

頼朝よりともが開運した神社は「箱根神社」と「伊豆山神社」でしたが、それは頼朝が罪人として伊豆に流されるという苦境の時代にいたことと関係します。

やはり自分がしんどいときに支えになってくれた神さまというのは、思い入れが深まるものです。頼朝が武士のトップである征夷せいい大将軍になってからも、この2社は頼朝にとって特別な存在でありつづけました。

箱根神社(写真=CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)
箱根神社(写真=CC-BY-2.0/Wikimedia Commons

源頼朝、足利尊氏も「マイ神社」のパワーを味方にした

神さまの方から声をかけてくるケースもあります。僕の例ですと、大津市の日吉大社で巨大シャボン玉のような透明ななにかから、「こっちこっち」と誘導されて、ついていったら白山宮でした。で、どんな神さまか確認したら、菊理姫くくりひめというお名前で、石川県の母校の近くにいたと気づきました。

この母校は僕にとっては、勤めていた会社を辞めて、いわばすべてを捨てて進学した思い入れのある大学院でした。以来、僕にとってのマイ神さまは菊理姫です。

戦略的に神社とご縁をつなぐということもできます。たとえば足利尊氏あしかがたかうじは戦いに敗れて京都を追われ、九州に行きました。

ここで宗像大社の支援をえて盛り返します。もともと尊氏は源氏の流れですから、頼朝のように鎌倉を中心とした関東の神さまパワーは味方にしていました。そこに新たに加わったのが宗像の神さまパワーです。

尊氏と敵対した後醍醐ごだいご天皇を中心とした勢力は、宗像大社を軽視していました。そのため尊氏は、強力な宗像パワーを味方にすることができたのです。こうした「いまの権力者が味方にしていない神さまを味方につける」というのは、現代政治でも通用する戦略です。