もともとは「小学生の時に授業で一度も手を挙げたことがない」というほど人前で話すことが大の苦手だったが、次第に慣れていった。「乾杯の音頭次第で、場の雰囲気がガラリと変わる」という実感を得たのも、この頃だ。

旅とパーティーに明け暮れていた佐谷さんにとって、大学生活は「楽しすぎて、やめたくなかった」から、卒業したら1、2年、旅に出ようと考えていた。ただ、就職しないならその理由を両親に説明しなければならない。試しに、DMを送ってきた富士通の面接を受けることにした。

パクチー銀行のメニュー表
筆者撮影
パクチー銀行のメニュー表。

「いえ、志望してません」

面接当日。「富士通を志望した理由を教えてください」と当たり前のように聞いてきた面接官に、佐谷さんは答えた。

「いえ、志望してません。こういう場面で御社が第1志望ですとぬけぬけと言う人を僕は信用できません。それに、まず大学を出たら会社に入らなきゃいけないっていうその常識から疑った方がいいんじゃないと思っていまして、就職するかどうかまだ決めていないんです」

準備ゼロで臨んだ面接試験で、これは落ちたな、でも別に入社したいわけじゃないからいいか……と思っていたら、なぜかとんとん拍子に面接を突破し、内定を得た。この面接の過程で、「志望してない」という自分を面白がる富士通に興味が湧き、1998年に入社。研修後の配属先は、人事だった。

「やると決めたら、とことんやる」性格の佐谷さんは、「どうせなら社長になろう」と決意。部内で「このプロジェクト担当したい人?」と聞かれれば誰よりも早く立候補し、前のめりで仕事に取り組んだ。その姿勢が評価され、2年目から関西地区の採用責任者に抜擢された。

富士通を3年で辞めた理由

ところが3年目の夏、退職届を出した。

「採用シーズンのピークが過ぎると本当にヒマで、会社にいなくてもなにも言われないから、毎日公園で昼寝してました。2シーズン責任者をさせてもらったからこそ、そのギャップに虚しくなっちゃって」

退職届を出す前日、高校時代の友人と富士山に登っていた。互いに仕事の悩みを相談しながら登山していたのだが、登頂して下界を眺めていたら自分の悩みなどちっぽけなものだと思い直し、富士山頂で友人に告げた。

「おれ、会社辞めるわ。普段、俺は下から富士山を見てるだろう。でも、富士山に登ったら景色が違うじゃん。下から見てるだけじゃダメなんだよ。違う世界に立たなきゃ」

翌日、課長に同じ話をしたら、「……意味わかんないんだけど。次に何をするか決まってからにすれば?」と言われた。それでも辞意は揺るがなかった。旅と同じで、その先に何があるか分からないから突き進む。