新型コロナウイルス感染症対策専門家会議は2020年2月14日に設置され、2020年7月に新型コロナウイルス感染症対策分科会へと引き継がれた。専門家会議が終了するとき、何が起きていたのか。専門家会議で副座長を務め、現在は分科会会長を務める尾身茂さんに聞いた――。

※本稿は、牧原出、坂上博『きしむ政治と科学 尾身茂氏との対話』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

政府専門家会議の在り方について記者会見する尾身茂副座長(手前、地域医療機能推進機構理事長)ら=2020年6月24日、東京都千代田区
写真=時事通信フォト
政府専門家会議の在り方について記者会見する尾身茂副座長(手前、地域医療機能推進機構理事長)ら=2020年6月24日、東京都千代田区

メンバーの中には体調を崩して入院した人もいる

――尾身さんに殺害を予告する手紙が届いたそうですね。

【尾身茂氏(以下、尾身)】まさか、これほど風あたりが強くなっているとは思いませんでした。殺害を予告する手紙や薄いナイフが入った封筒が届いたため、警察が警護してくれることになりました。当時は、自宅と、独立行政法人・地域医療機能推進機構、霞が関の内閣府を行き来するだけの生活でしたので、それぞれの場所で警護していただきました。

2021年7月には、地域医療機能推進機構の入り口ドアのガラスが大型のシャベルで割られたという事件もありました。また、私ともう一人の専門家会議のメンバーは、損害賠償請求されたこともありました。

――メンバーの中には体調を崩して入院した人もいると聞きました。

特に、クラスター対策やデータ収集、分析に関わった専門家は長時間、属人的な努力が必要だったため、かなりの負荷がかかったと思います。

専門家のなかには、自分の大学院の研究室の学生の力などを借りて、感染者数について、新聞報道や自治体の広報文をもとにスマホを使っての手作業で情報収集せざるを得なかった。このため、肉体的にも精神的にも相当な負荷がかかってしまいました。日本は良質な疫学データが集まらないのは大きな問題です。早急に解決しないと、新たな感染症の襲来に対応できないと思います。

――メンバーの中で辞めたいと漏らす人はいませんでしたか。

辞めたいって言う人は何人かいました。激務による疲労もありました。また、提言内容の趣旨について、時々自分たちの考えが政府に理解してもらえなかったフラストレーションもあったと思います。

専門家会議からの「卒業」に向けて

「前のめりの『専門家チーム』があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応 専門家の役割はあくまで助言。政治的決断を下し責任を担うのは政権のはずなのに……」。東京大学先端科学技術研究センターの牧原出まきはらいづる教授が、このようなテーマで書いた論文が2020年5月2日、朝日新聞社の言論サイト「論座」に掲載された。当時の専門家の姿勢を「前のめり」と表現したのは、この論文が初めてのことだった。専門家への不満や非難が広がった背景に、政府と専門家とのあいまいな関係があり、そのような関係を放置してきた政府の責任は重いと指摘した。政府も尾身会長も、専門家会議からの「卒業」に向けて動き出した。

――専門家会議のあり方を変えないといけないと思い始めたのは、いつ頃からですか。

【尾身】感染の波が落ち着き始めた20年5月下旬頃でしょうか。専門家会議のあり方を再検討する必要があると感じ始めました。

その理由は大きく分けて二つありました。

一つめは、本来、専門家の役割は提言することで、その提言を採用するかどうかは政府が決め、最終的な判断も含めて国民への発信の第一義的な責任は政府が負うべきです。しかし、政府と専門家の役割分担が不明確だったために、我々がすべてを決めているという印象を与えました。

緊急事態宣言を含むコロナ対策は、社会経済に大きな影響を与えました。専門家会議は感染症や公衆衛生など医療関係の人たちが中心なので、どうしても感染対策に重点が置かれる傾向は確かにありました。感染対策に重点が置かれ続けると、社会経済は打撃を受けます。だから、社会経済の専門家も入ったほうがいい、と思ったのが二つめの理由です。