自分の思うところを主張し続けていい

ですから、自分が「こうあるべきだ」と思うことを主張し続けていいのです。それが正しいかどうか、誰にも判断できないことがいくらでもあるのです。

高齢になってくると、何かふと考えが頭に浮かんだときでも、相手の意見に反論したくなったときでも、何も言わずに黙り込むことが多くなります。自分の考えを「もう古いのかな」「偏屈に思われるかな」と封じ込めてしまうことがあります。

でも、相手や周囲の意見が正しいというわけではありません。いろいろある考えの中の1つでしかないのです。

まして政治や経済、人生観の問題に、「ただ1つの正しい答え」などあるはずがありません。答えはいくつもありますし、時代が変わればまた違う答えが出てくるでしょう。

どんな分野の常識でも、数年もしないうちに覆されたり、まったく新しい考え方が出てきたりするのは珍しいことではありません。

サークルに座ってオフィスで話し合うビジネスの人々のグループ
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自分に筋を通す生き方

つまり、唯一絶対の正義が存在しない以上、自分の考えや答えも1つの見方として言葉にしていいはずです。少なくとも、相手や周囲に合わせる必要はありません。

長く生きてきて自然に備わった考えを、そのまま表に出す。自分自身に筋を通すとは、そういうことではないでしょうか。

じつは私は、そのことに10年くらい前に気がつきました。

それまでは、勉強するのは「答えを出すため」だと思っていました。学びたいこと、知りたいこと、わからないことを勉強するのは答えを求めることだと思っていました。

ところがだんだん、「どんなものにもただ1つの答えはない」と考えるようになりました。医学常識だって変わっていきます。

つまり、どれが正しい答えなのかは半永久的にわからないままなのです。むしろ、答えや選択肢を複数同時に持っていられること、それが本当の賢さだと思うようになりました。