ふたりの妃の人生、幸せなのはどちら?

ご成婚から30年を迎えた雅子皇后と33年になる秋篠宮紀子妃、どちらの人生が幸せなのだろう。

この難問に答えられる人はいないだろう。

春の園遊会に臨まれる天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻ら皇族方=2023年5月11日、東京・元赤坂の赤坂御苑
写真=時事通信フォト
春の園遊会に臨まれる天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻ら皇族方=2023年5月11日、東京・元赤坂の赤坂御苑

特にこの2人は、「不思議なことに、世間では紀子さまが持ち上げられると雅子さまの人気が下がり、雅子さまが復権すると今度は紀子さまが、といったシーソーのような関係が続いています」(コラムニストの辛酸なめ子氏=週刊新潮6月15日号

悩んだ末にBingの生成型AIに聞いてみた。AIに一番苦手なのがこうした質問だが、案の定、こんな答えが返ってきた。

「彼女たちは、それぞれの立場で、皇室のために尽力されています。また、彼女たちが幸福な人生を歩んでいるかどうかは、私たちが判断することではありません」

その通りではあるが、ここで判断を停止してしまうと、この原稿が書けなくなる。

以前にも書いたかもしれないが、私は人間誰でも「幸福の総量」は生まれながらに決まっていると思っている。 2人の人生を考えるためには、結婚当時のことを今一度思い返してみるのがいいのではないか。

その前に断っておきたいが、私は、秋篠宮と紀子さんの現状が不幸だなどと決して思っているわけではない。しかし、共に皇室という未知の世界へ飛び込んだ2人の一般女性が、結婚30年を過ぎた今、2人の「幸福度」にいくらかの差が感じられるのはなぜなのかを考えてみたいと思ったのだ。

小和田雅子さんは結婚を何度も断っていた

当時、皇太子は小和田雅子さんとの結婚を強く望んだが、彼女は外務省のバリバリのキャリアウーマンで、「外務省で大変やりがいのある仕事をしている。辞めたくない」と何度も断ったといわれている。

一部報道では、当時、付き合っている男性がいたともいわれた。私も週刊誌の現場にいたが、彼女の意志を尊重すべきではないか、皇太子は諦めるしかないと考えていた。

この間の事情を、成城大学の森暢平教授が、サンデー毎日(6月18日号)の「社会学的皇室ウォッチング!」でこう書いている。

「結婚が決まったのは1993(平成5)年1月19日の皇室会議だが、出会いは6年ほど前に遡る。この間、話は一度白紙となった。宮内庁側で問題になったのは、祖父がチッソの社長であったことである」

祖父の江頭豊は興銀の銀行マンだったが、1964(昭和39)年から1971年まで水俣病の原因企業であった「新日本窒素肥料(のちにチッソと社名を変更している)」の社長を務めていた。

水俣病が社会問題になったのは昭和30年代の初めで、患者の一部に見舞金が払われたのは昭和59年だったから、多くは江頭社長の在任中であった。被害者たちと株主総会で全面的に対峙する立場にあり、「補償額を縮減しようと一部被害者を怒らせ、解決を遅らせた社会的な責任はやはりあると私は考える」(森教授)