対価0円では神も細部に宿らない

普通の会社であれば残業代が発生するため、その作業を残業してまでやる価値があるかどうかの判断が必要です。しかし、弊社のようなブラック企業では、どれだけ働こうが残業代はなく給料は定額です。そのため、意味がない作業でも平気で命じます。

徹夜しながら細部にこだわった広告が世に出たところで生活者にとってはどうでもいいことです。気づく人さえいません。そんなこだわりの価値は0円です。

いままでは神は細部に宿ると信じて作業していましたが、そんなのは前時代的なのかもしれないと思うようになりました。いまや広告をじっくりと見る人もいないのに、毎日徹夜して命を削って作る価値はあるのか? と疑問に思います。

疑問が増えると、今の自分がやっていることに自信が持てなくなり、デザインにも迷いが生じます。

もし残業代が出て、適正なお給料が支払われていれば、今の自分の仕事は価値あることをやっているんだと思えますが、この労働環境と給料ではそんなポジティブな気持ちになれません。

低賃金を表すイメージ
写真=iStock.com/igor_kell
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上司のひとこと「終電で帰られたら困る」

今になって思うと、上司は単に僕をいじめているだけかもしれません。僕の前に勤めていた人も、こんなふうに理不尽なことを強いられていたんだろうなと思います。

一度だけ上司と飲んだ時に身の上話をされたことがあるのですが、上司自身も若い頃はプライベートを投げ捨て、事務所の床で眠り、毎日泊まり込んでいたようです。

その時の経験が基準になっているため、僕たちに尋常じゃないパワハラをしても悪意はなさそうです。

上司も雇われの身で苦しいことも多いんだろうなと思うこともあります。売上の数字に追われているので、周囲にパワハラをしないといけないという状況も多々あります。

パワハラ上司は、僕たち同様にこの奴隷制度の犠牲者なのかもしれません。そう思うことで、パワハラや理不尽な修正をほんの少し受け入れることができます。

僕が入社したばかりの頃、上司からあることを宣告されました。その日も深夜まで残業をしていて、終電が近かったので上司に退勤許可を願おうと話しかけました。

「そろそろ終電なので帰ってもいいでしょうか?」そう僕が問いかけると、上司は「終電で帰られたら困るんだけど」と言い放ったのです。