残されたプレイヤーは「個人と企業」

世の中を動かす仕組みとして、資本主義と民主主義に代わる優れた仕組みは、今のところ見当たらない。また、知識人が先導する理念や哲学が世の中を先導する時代でもなくなった。宗教はもとより、国家も制度も理念も哲学も世の中を動かす動力源とならない。そんな時代に残された社会変革のプレイヤーは、「個人と企業」ではないか。この両者が制度疲労に陥った資本主義と民主主義に代わる何かを生み出す担い手となるしかない。その変化の核が「新知性」なのだが、それを育む孵化器は個々人の消費生活の中に求めるしかない。

つまり、「新知性ブランド」が日常の企業活動を通じて個々人の消費生活の中に新知性を普及させ、人々にその価値を実感させていく。旧知性、つまり啓蒙思想は学校教育や政府による啓蒙活動で普及したが、新知性は人々の消費生活を通じて浸透していくのではないか。新知性ブランド企業は、資本主義の力をレバレッジしながら知らず知らずのうちに人々を、そして社会を変えていく力を秘めている。

【図表3】先端企業は、「新知性」と相通ずる要素を持つ
図表=筆者作成
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