欧米においては、ミレニアル世代(1981~1990年半ば生まれ)やZ世代(1990年半ば~2000年代生まれ)が、資本主義に批判的です。彼らは新自由主義が規制緩和や民主化を推し進めてきた結果、格差や環境破壊が一層深刻化し、その尻ぬぐいをさせられる世代です。日本でもそうした傾向が見られます。

東京大学大学院総合文化研究科准教授 斎藤 幸平氏
東京大学大学院総合文化研究科准教授 斎藤 幸平氏

ただ“気づきを得た人たち”の行動が、今のところ社会を変えるに至っていないのは残念です。そういう人たちが今向かっているのは、マインドフルネスであったり、エコロジーに配慮した暮らしであったり、オーガニックな生活であったりと、いずれもマインドセットが「個」にとどまっています。

しかし、マインドセットが「個」にとどまるかぎり何も変わりません。気候変動は止められないし、人生の貴重な時間は刻々と失われていきます。

むしろ、それで何かを「やったつもり」になって、かえって状況を悪化させている可能性もあります。

私はいろいろなところで「SDGsは“大衆のアヘン”である」と言っています。マイボトルを持ち歩くことやハイブリッドカーに乗ることが「私は地球温暖化対策に貢献しているんだ」という精神的な免罪符となって、真に必要とされる実効性のあるアクションを起こさなくなってしまう。

週末のヨガ教室に行く時間を捻出するためにスマホで動画を倍速で見て、地球に優しいオーガニックな食事のために食材を遠方から航空便で取り寄せていては本末転倒です。目の前のことしか考えられなくなっているのも、そもそも個が忙しすぎるせいでしょう。スキマ時間でしか趣味を持てないから、SNSのように目の前の快楽を追い求めることになってしまうのです。

個人の問題ではなく社会の問題だ

日本は、労働時間が長すぎますし、労働の対価として見合った賃金が支払われていません。日本人は不満があるときに労働組合をやって使用者に待遇改善を迫るより、個人でなんとかしようとする傾向があります。収入が足りなければ資格取得や副業をしたり、プライベートの時間が足りなければ効率化や時短の努力で捻出したりと、個人主義的な豊かさを求めてしまいます。

他者に依存しない自己責任社会を許容するので、ひろゆき氏のようなスタンスが人気なのでしょうが、社会のあり方を変えなければ根本的な問題は解決しません。本当に得るべきもの/大切にすべきことは何なのか、どうなれば私たちは幸せを実感できるのかを皆で考え、議論する必要があります。

「そんなの議論をしたところで、何も変わらないのは同じじゃないか」と諦めているとしたら、それは違います。ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、3.5%の人々が非暴力的な方法で本気で立ち上がると、社会が大きく変わるというデータがあります。