“凡人”には「背伸びするくらい」の職場がいい

とくに傑出したところもない、とりあえず体が健康であるくらいしか見るべきところがない凡人であると自負する人にこそ、なるべく「ゆるい職場」を避けてほしいと個人的には思っている。「ゆるい職場」は理想的に思えるかもしれない。それでもだ。

だからといって、自分の身の丈には合わない能力や負荷を求められるような職場に飛び込む必要はない。自分のコンディションやバイタリティをよく確認しながら、ほどよく「背伸び」をするくらいの仕事や職場を選んでほしい。

連続するはしごを見上げる人
写真=iStock.com/DNY59
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私たちはお金や安心感だけでなく、「働いている理由」ひいては「自分がここにいる理由」を求めて仕事をしている。「自分がここにいる理由」は、仕事を通じて他者貢献や共同体感覚を実感することで得られる。そう、私たちの心は結局いつだって「だれかのために生きたい」と願ってやまないのだ。私たちはその心の願いを叶えてあげなければ、生きることに喜びを得られないし、自己肯定感を得られない。

自分のプライベートの時間を持ちたいからとか、心身を疲労させてまで仕事をする理由なんてないからと、「ゆるい職場」を選びたくなる人がいるのはわかる。だが、そこで心が本当に欲している栄養を与えてあげられなければ、心はどんどん元気を失って萎びていき、やがては生きることにさえ苦痛を感じるようになる。私たちは平日の起きている時間の大部分を仕事して過ごす。この部分で大事な栄養を得られないと、他の時間でそれを十分に補うのは難しい。

私たちの心は「だれかのために自分がここにいる」実感を求める

別にお金や安心感を犠牲にしろと言っているわけではない。当然ながら、私たちが社会生活を送るにはお金や安心感は大切だ。仕事をしてお金を稼いで生活費を稼がなければお話にならないし、長く働くなら温かくポジティブな人間関係も欠かせない。お金や安心感は私たちにとって大切な栄養であり生命線だ。

しかし私たちの心は、お金や安心感だけではなく「ここにいる理由」という栄養を欲している。

私たちがここで働く理由、与えられたこの仕事をやるべき理由、与えられた課題を頑張る理由――それこそが、私たちの心を強く生かすものだ。私たちの心は「だれかのために自分がここにいる」という実感を求めている。だれかと一緒に挑戦し、ときにだれかを支え、だれかに支えられ……そうした関係のなかで自分自身の存在感や存在理由を確認したいと願っているのだ。

極言すればお金はどんな職場のどんな仕事でも得られるが、私たちの心が求める栄養は「ゆるい職場」ではしばしば見つけられない。

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