仕事を通して得られる「共同体感覚」

ウェブメディアでこのようなことを書くのはたいへんにウケが悪く「お前はブラック企業の手先か」「やりがい搾取を肯定するのか」と言われかねないことは百も承知だが、それでも述べたい。むしろそれよりも「自分が仕事を通じて貢献している実感や証拠」を得られるような職場環境である方が、喜びや満足感や生きがいを感じられると。

私たちが仕事を通して欲してやまない「この仕事をしていることで、自分が直接的にだれか/なにかの役に立っているという実感」とはつまり“共同体感覚”のことだ。

その仕事が存在している理由がはっきりしていて、それを自分が遂行することで仲間や顧客に対する明確な結果(貢献)がフィードバックされる――そういう状況におかれると、その人は「自分がここにいる理由」をつねに供給されることになる。「ここにいる理由」が絶えず供給されると、それはその人の自己肯定感や実存的な存在感の向上をもたらす。

それなりにタイトなスケジュールで、積みあがるタスクをこなす毎日を送ることは当然ながらしんどい。しかしそのしんどさについて「仲間や関係者や顧客のためにこそある」ということを確信できれば、閉塞へいそく感や苦痛は感じにくくなる。さらには「自分はここにいてもいいんだ」「自分の頑張りを待ってくれている人がいるんだ」という気持ちが湧いてくる。

チームワークの概念
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ある程度チャレンジングな方が「心地よい疲労感」を得られる

ブラック企業のような相互不信的な人間関係では難しいが、ある程度に相互協調的で信頼感や安心感のある仲間と一緒にチャレンジングな仕事に取りかかれる職場は、労働負荷の点ではハードであるとしても、しかし「ゆるい職場」のように冗長で手持ち無沙汰な時間を味わわされることは少なく(どちらかといえば時間はあっという間に過ぎていく)、なおかつ生きがいや自己肯定感をセットにした「心地よい疲労感」を与えてくれるものになる。

「自分は仕事を通じてだれにも貢献できていないのではないか」「こんな仕事やってもやらなくても同じなのではないか」――という疑念がずっと消えない共同体感覚の欠如した職場環境は、たとえ絶対的な業務負荷量が軽く「ゆるい職場」だったとしても、しかし自分の内面にある自己有能感や自己肯定感をじわじわと蝕んでいく。暗くどんよりとした感情がまるでおりのように心の底にじわじわ堆積してくる。