「24時間フル稼働」で仕事の評価は低いまま

といっても、私がこう考えられるようになったのはつい最近のこと。

晴れ晴れとした気持ちで家族とボストンの空港に降り立った日から、さかのぼること約1年半。私は仕事と家事と育児に追われ、毎日を憤慨した気分で過ごしていました。

冒頭の「勤務先では、めいっぱい仕事、仕事、仕事。家に帰っても家事と育児という名の仕事、仕事、仕事……」そう嘆いていたのは、何を隠そう、かつての私自身だったのです。

当時、私は東京・銀座の女性総合外来で、産婦人科医として働いていました。長女は2歳、次女は生後2カ月でした。

勤務時間は午前9時から午後5時まで。当時の自宅は栃木県宇都宮市にあったため、通勤には往復で約3時間かかりました。夕方5時になると病院を飛び出し、帰路を急ぎます。

保育園に子どもたちを迎えに行き、家に着くのは午後7時近く。そこからは子どもの相手をしつつ、夕食を作り、食べさせ、下の子に授乳をし、お風呂に入れ、洗濯をし、明日の保育園の準備をする……。毎日怒濤どとうのように時間が過ぎていきました。

赤ちゃんをあやしながら、洗濯物を取り出そうとしている母親
写真=iStock.com/SolStock
※写真はイメージです

当時の私は産婦人科医といっても、経験も知識も豊富なベテランドクターと違い、卒業後8年目で発展途上の半人前ドクターでした。

ベテランドクターに近づくために、もっともっと最新の情報や知識を吸収して、治療に生かしたい、患者さんにとって最善の結果となるような治療を、自信をもって行いたい。

そう意気込むものの、ほとんどは夕方以降に開かれるセミナーや講習会、勉強会に出席する時間がとれません。

治療の科学的根拠をつくるための統計・疫学といった研究スキルも身につけたい。そのためには留学という方法もある。そういえば、いずれは留学したいと前々から思っていたよね。あぁ、でも、毎日疲れきって教科書を開くことすらままならないじゃないの。

子どもを寝かしつけながらこんなことを思いつつ、疲れと睡魔に負けていつの間にか夢のなか……、という毎日でした。

また、自分では「24時間フル稼働」という感覚でしたが、勤務先では夕方以降の診察ができず、会議などにも出られないため、仕事の評価は下がっていきました。

ストレスばかりがたまり愚痴るだけ

さらに追い打ちをかけたのが、長女の入院です。長女は1歳の誕生日を過ぎた頃、肺炎をきっかけに小児喘息ぜんそくにかかってしまったのです。喘息は、気管支が炎症を起こして腫れる病気です。

重症発作を引き起こすと、あっという間に全身状態が悪くなり入院が必要になります。

発作の程度は子どもによって違うので通院で乗り切れる場合もありますが、長女の場合は10日前後の入院をするのが常でした。

入院すると、ほぼ24時間、ベッドの横に家族の誰かがつくことになり、そのほとんどは母親の私の役目でした。

小児喘息は、一度症状が改善しても繰り返しやすい、という特徴があります。退院し、しばらく家で様子を見て、ようやく保育園に登園、私も安心して仕事に行けると思ったのもつかの間、再び発作を起こして入院ということを何度か繰り返しました。

フラストレーションがたまります。

新しい情報や知識の吸収どころか、ましてや留学どころか、満足に仕事にさえ行けない。暗澹あんたんたる私の気持ちとは対照的に、症状が落ち着いてきた長女がベッドの上で無邪気に笑っています。

元気になって本当によかったと安堵あんどしつつ、今日はたしか担当の患者さんの予約が入っていたはず、誰が私の代わりに診てくれたのだろう、こうたびたび休むようでは上司や患者さんに申し訳ないと落ち込みました。

こんなに毎日一生懸命がんばっているのに何もうまくいかない。誰も認めてくれない。気づけば夫や友人に愚痴ってばかりいる自分がいて、しばらくこの状態が続きました。