文法も一対一の対応をしない

文法についても、日本語と英語には一対一の対応がありません。

中学生のときの英語の授業で、ある生徒がした質問を、そのときの情景とともに、いまでもはっきりと覚えています。

「私は少年です:I am a boy.」の文章について、「私」はI、「少年」はa boy、「です」はam、であることは分かりました。それでは、「は」に対応する英語はどれなのですか? という質問です。

これは、英語と日本語の文章構造が一対一の対応関係にあるとの誤解から発せられた質問です。こうした誤解にとらわれている限り、英語は上達しません。

英語と日本語が一対一に対応しないのは、学び始めの中学生には分かりません。だから、「日本語の『は』に対応する英語は何なのか?」とは、自然な疑問です。

日本語では、「私は」と「私が」では意味が微妙に違います。「それを英語でどう区別できるか?」というのは、大変「良い」疑問のように思えます。しかし、この疑問は、実は間違いなのです。

「英語の世界で物事を見よ」

私はこの質問にあまりにびっくりしたので、先生の答えを覚えていないのですが、教師は、「そのように考えては、英語は上達しない」と教えるべきです。「英語は日本語と別の体系なのだから、日本語に対応づけようとせず、英語の世界で物事を考えよ」と教えるべきです。

英語と日本語がまるで違う言語であることの例は、これ以外にもいくらでもあります。

例えば、日本語では命令形はかなり強い意味になり、目上の人に対してはおろか、対等の人に対しても使いません。ところが英語では、どんな人に対しても、ごく普通に命令形の文章を使います。

なお、分解法のもう1つの問題は、退屈なことです。単語覚えも退屈、文法も退屈。こういう勉強をしているから、嫌になってしまうのです。