「子育ての社会化はスターリンと同じ」

一方の自民党は「子どもは家庭で育てる」という、信仰にも似た揺るぎない信念を持っている。2月1日の衆院予算委員会で立憲の西村智奈美前幹事長が紹介していた、首相に返り咲く前の安倍晋三氏の発言が分かりやすい。「子ども手当によって民主党が目指しているのは(略)子育てを家庭から奪い取り、子育ての国家化・社会化です。これは実際にポル・ポトやスターリンが行おうとしたことです」

「ここまで言うか」と思うほど強い表現で「子どもは社会が育てる」政治理念を忌み嫌っている。

これは安倍氏の個人的な資質によるものではない。3党合意の際に自民党が石破茂政調会長(当時)名で発出した「『子ども手当』廃止の合意について」という文書には、こう書かれている。

「所得制限を設けることにより、民主党の『子どもは社会で育てる』というイデオロギーを撤回させ、第一義的には子どもは家庭が育て、足らざる部分を社会がサポートする、という我が党のかねてからの主張が実現した」「(子ども手当の撤回は)家庭を基礎とする我が国の自助自立の精神に真っ向から反した『子どもは社会で育てる』との民主党政策の誤りを国民に広く示すこととなり、大きな成果であった」

自民党にとって子ども手当、特に「所得制限」の撤廃問題とは、単なる「バラマキ」批判ではなく、まさにイデオロギー闘争だったのである。

昭和の浦安
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「世帯から個人へ」が徐々に社会に浸透してきた

「子ども手当」が自民党に激烈にこき下ろされた10年以上前の当時は、日本社会もどちらかと言えば、まだ自民党の主張を許容する風潮があった。「どうして金持ちの家の子どもまで手当をもらえるのか」という声は、まだ一般社会にもそこそこあったと思う。

しかし、この10年で社会もずいぶん変わってきた。その流れを結果として推し進めたのがコロナ禍だ。まだ記憶に新しい「1人一律10万円の定額給付金」。これも野党の発案を受け、当時の安倍政権が補正予算案を組み替える異例の対応で実現したものだが、安倍政権はこれを「世帯単位」で給付したために、例えば家庭内暴力(DV)被害者や家庭内で弱い立場にいる人に給付が届かないという問題が発生した。ツイッターで「#世帯主ではなく個人に給付して」というハッシュタグも生まれた。

「世帯単位から個人単位へ」ということの意味が、社会的にも広く認知され始めた。