「ネッシー生け捕り」「ツチノコ発見」「妖精15センチおじさん」……。夕刊スポーツ紙「東京スポーツ」が他社とは一風変わった記事を掲載するのはなぜか。ライターの岡田五知信さんの著書『起死回生 東スポ餃子の奇跡』(MdN)より、一部を紹介する――。
ネッシー
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眉唾物の記事でも読者は決して怒らない

東スポが娯楽性を重視した記事を盛んに掲載するようになったのは、あのビートたけしが客員編集長に就任(1991年4月)して以降のことだといわれている。東スポのすべてを具現化しているといっても過言ではないのが一面の見出しだろう。

一度でも目にした者は必ずその場で足が止まる。その先が気になって仕方がないのだが――。一面のレイアウトは駅の売店や新聞スタンドに陳列され、折りたたんである状態であることも巧妙に計算され、手に取らないとその先が読めない仕掛けになっている。

そして購入してから毎回、気づかされる。見出しの最後に小さく“か”あるいは“説”、さらに“も”。そしてダメ押しが“?”といった疑問符や感嘆詞などの語句で締めくくられていることを――。それでも読者は決して怒ったりはしない。それが東スポの真骨頂であることを百も承知だからだ。しかし、その一方であの眉唾物の記事が実は世紀の大スクープだったなんて例も頻繁にあるから読者にとって油断は禁物だ。

30年以上前から続く「東スポ伝説」

娯楽性を最重要視したこの姿勢をすべて体現した手法が「東スポ伝説」なのだ。このDNAはいつ頃から育まれたのか? さらに今後はどのような進化を遂げるのか? 参考までにこれまで世間を騒がせ、ファンを魅了してきた東スポ伝説の一翼を担ってきた一面見出しを次に抜粋しておく。

プレスリー生きていた?………平成元(1989)年5月14日付
人面魚が笑った…………………平成2(1990)年6月12日付
マドンナ痔だった?……………平成2(1990)年11月4日付
フセイン インキン大作戦……平成2(1990)年11月23日付
人面魚 重体脱す………………平成2(1990)年12月29日付
ネッシー生け捕り………………平成4(1992)年1月16日付
たけし和解………………………平成4(1992)年2月2日付
500歳 宇宙人…………………平成4(1992)年4月17日付
デーブ・スペクター日本人……平成4(1992)年7月9日付
マイケル錯乱……………………平成5(1993)年9月10日付