お金を使わないことが、脳の老化につながる

ところが景気が落ち込み、子どもの教育費の負担が増したり将来への不安が生まれてくると、ぱったり自分のおカネを使わなくなりました。使えなくなったというべきかもしれません。

でも、それが定年後も続くと、おカネを使う快感を忘れてしまいます。せいぜい、孫に小遣いをあげて満足するくらいで、自分のために使おうとしなくなるのです。

これではしょぼくれてしまうのも無理がありません。

やってみたいことやほしいもの、出かけたいところはいくらでもあるはずなのに、「もう働いていないんだし」といった理由でブレーキをかけてしまったら、なんのために40年間、働き続けたのかわからなくなってしまいます。

しかも脳で考えれば、ひたすらルーティンな作業に費やした年月で前頭葉は機能低下し、その後もおカネを使わないという生き方のなかで前頭葉は刺激を受けるチャンスがありません。一気に脳の老化が始まって、ボケたようになるのも当然なのです。

並んで拍手するシニアのグループ
写真=iStock.com/vm
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なににどうおカネを使うかと考えるのは前頭葉を使う

おカネを使うというのも出力です。

貯めるのは入力で、知識を蓄えるようにおカネを蓄えればいいのです。たくさんの知識が溜まれば知識のおカネ持ちになります。

でも、それを使えないのは表現力がないということです。

あるいはオリジナリティがないということです。

どちらも前頭葉を使わないということです。

一方のおカネを使うことはどうでしょうか?

定年を迎えて、無意味な浪費はしたくないという気持ちならだれにでもあります。

したがって、使うなら存分に楽しみたいし、それによって幸せな気持ちになりたいと考えるはずです。

そうなれば、なににどれくらいのおカネを使うかというのは、かなり真剣なテーマになります。たとえば友人と会って飲み食いするだけでも、あれこれ調べたり記憶を総動員したりして店を選びます。

これが同窓会の幹事ともなれば大変で、まさに全知全能をふり絞ってのプランニングが必要です。出力系がものすごく鍛えられるのです。

そして、結果に満足すれば脳は快感に包まれます。

「今度はなにをやろうかな」と考えるはずです。