日本が戦乱を経験しなかった215年間

江戸時代の中でも、鎖国政策で国を閉じていた期間は1639年から1854年までの215年間である。この間に欧米では、清教徒革命(1642年)、アメリカ独立戦争(1775年)、フランス革命(1789年)、ナポレオン戦争(1803年)、クリミア戦争(1853年)など、世界史上の大事件とされる戦乱が広範囲でひっきりなしに起きている。日本人とは対照的に、欧米人は、いわば戦いが日常の世の中に生きていたのである。

昭和史には、このような欧米社会との違いがよく出ている気がする。市民社会も、革命も、対外戦争も経験しなかった歴史は、日本人に国際社会に生きていく外交や軍事の手練手管を教えなかった。

黒船来航以後、右も左もわからない状態で世界に出た日本は、見よう見まねで何とか格好がつくまでにはなったが、それ以上の知恵には、にわかには届かなかったということだ。

「すぐ役立つ学問」が日本人の肌に合う

学問的な面からも、これから昭和史を学ぶ必要性を考えてみたい。

欧米の学問は、大きく二つに分けられる。一つは、「世界はなぜあるのか」「人間はなぜ存在するのか」など、哲学のように普遍的原理を突き詰めようとする形而上学。もう一つは、アメリカを中心に発展した、実学的、プラグマティックな学問である。

日本では、プラグマティックな学問が伝統的に優勢である。具体的説明が歓迎されると共に、即効性があるほど重視され、「現世ご利益」的というか、実際に早く役立つ学説ならば、流行現象になるほどもてはやされる。

こういう、プラグマティックな思考風土の中に、西欧的な思想として形而上的な学問を取り入れていったのが、近代日本の欧米化の過程だった。一部のインテリ層が、哲学のような学問の受容体となり、教師となって知的水準の向上に努めた。

だから現代の大学でも、形而上学的な学問のほうが上に見られる構造になっている。建前として大学とは、実学よりも概念を学ぶ場所であり、学問業績は論文の出来で測られる。形而上学的なことを理解する能力が、知識人の条件とされるのである。

最近は「新しい教育」などと銘打って、小学生に英語の日常会話を教えたり、中学校で株式投資の授業をやったりなどが歓迎される趣があるが、実は日本人としてはもともとそういうプラグマティックな学びのほうが、肌に合っているのである。