昭和史から私たちは何を学ぶべきか。ノンフィクション作家の保阪正康さんは、「日本人はもともと実利主義者だったのに、太平洋戦争では『八紘一宇』『神の国』といった抽象的な概念で戦争を始めてしまった。今後も、国が抽象的な、神がかり的な方向に進まないように注意する必要がある」という――。

※本稿は、保阪正康『昭和史の核心』(PHP新書)の一部を再編集したものです。

旭日旗が風にはためく零戦
写真=iStock.com/Terraxplorer
※写真はイメージです

なぜ日本は戦争をする決断をしてしまったのか

昭和史から学ぶべきことは何かとよく聞かれる。

軍官僚の空気で決まった日米開戦、翼賛体制に迎合したメディア、軍事主導体制に従った国民……など、顧みるべきことは数多くある。

読者の脳裏にもさまざまな事実が浮かぶと思うが、それらを大局的にまとめるとおそらく、「なぜあのとき、世界を相手に戦争をする決断をしたのか」という素朴な疑問に突き当たるように思う。

そのような愚を繰り返さないために知っておくべきことを知るというのが、これからの人が「昭和史に学ぶ」実利的な目的になるだろう。

令和の今、昭和史を学ぶということは、その教訓を生かすための知識を身につけ、未来に応用していくという意味になろう。

鎖国が日本人を「世界の田舎者」にした

私は、日本人が鎖国によって、江戸時代に対外戦争をまったく経験しなかったことが、現代につながるアイデンティティーを形成したと考えている。

当時の人々には「身分」の差があったが、その上から下まで全員が、自分たちの共同体の中だけで一生を終えていたのである。生まれ落ちた共同体は、生から死まで、その中で生きるようにできていた。

これは重要なことだと思う。生まれてから死ぬまで、その内部のルールを守っていれば、安泰に過ごせる。戦争に対する危機感がないことは、戦乱の世だった欧米社会とは大きな違いとなった。

そのような精神的状況下に長らく置かれていた人々は、どのような社会をつくったか、どのような文化を生み出したか、それが現代の我々に、どういう教訓を与えているか、改めて検討してみたらよいのではないか。

昭和史を研究してきた私が一つ理解できたのは、「日本人は世界の田舎者だ」ということである。

「田舎者」などというとネガティブな意味に捉えられがちだが、私はプラス面もマイナス面もあると思っている。愚弄ぐろうしたり卑下したりという感情からいっているのではない。

つまり、農村共同体の中で、戦争を経験することなく、平穏に暮らしていた。その中で人生を終えた人々が七つか八つの世代にわたっていただろう。私はここに、それ以降の日本人の性格形成がなされたのだと考えている。