無理を突き破る「開拓者精神」

「ダマ」の解消は、息長く続けてきた。仕事でも製品の開発でも、みんなが「それで、いいのでは」というようなことは、誰もがとっくにやっている。もっと深く掘り下げ、徹底して突っ込まなければいけない。そこで、他社と差が出る。「無理だよ」と言われることを突き破ってこそ、新しいことができる。それが、「開拓者精神」だ。

課長になって、すぐに研修があった。そのとき、「社長への提言」と題した一文を出さされた。会社の将来像について、それぞれが思うことを書く。つい最近、セピア色になった原文が、みつかった。昭和60年(85年)8月2日の日付がある。「存在価値のある企業を目指して……『深・事業』のすすめ」として書いた。会社の横書きの便箋に3枚、「中途半端は世に不要」「深い『技術力』が新しい満足を創る」「事業の『価値感』が『技術の方向』を決める」の3点にまとめた。要は「徹底的にやれ」「技術が重要」「何を大切にしていくかの方向感が大事」ということで、読み返せばいまでも繰り返していることと同じだ。

「學不可以已」(学は以て已むべからず)――学問というものはどこかで終わることはなく、永久に続けて修めなくてはならない、との意味で、中国の古典『荀子』にある言葉だ。消費者を第一に置き、よりよい製品を「永久改良」していくとする伊藤流は、学問と事業の違いこそあれ、この戒めに重なる。

1947年9月、東京・中野で生まれ、練馬区で育つ。父は青果物の卸会社を経営。弟が一人で、子どものころ、自宅の北にあった高射砲陣地の跡地でよく遊んだ。学芸大付属の小・中学校から慶應志木高校を経て、慶大経済学部へ進む。大学ではサークルを立ち上げ、ミュージカルの公演もした。

父の仕事の関係で長年、食べ物が身近にあり、食べること自体も大好きだ。それもあって、就職先に食品会社を選ぶ。味の素の面接で、人事部長に「なぜ、うちを受けるのか」と尋ねられ、「サイエンスをベースにして、グローバルな営業を展開する会社だから」との答えが出た。

71年4月に入社、大阪支社の営業三課に配属された。生まれて初めて実家を離れ、芦屋の独身寮ですごす。営業三課はスープや家庭用油脂などを受け持ち、営業範囲は近畿の二府四県。いきなり即戦力になることを求められ、大阪府の担当補佐と奈良県の主担当となり、問屋回りなどを重ねる。その後、和歌山県も加わった。訪問先の大半が年配者。慣れない大阪弁で「毎度、おおきに」などと挨拶していたが、若造でも大事にしてくれて、2日酔いで動きたくない日には「ちょっと、そこの応接間で寝ていけ」と言ってもらう。

75年2月に本社食品部へ異動、スープ製品のマーケティングを担当する。以来、合弁事業の窓口役や製品開発担当を歴任し、47歳で食品部長にもなり、「食品ひと筋」の道を歩む。それまでも、それ以後も「社長への提言」で書いた『深・事業』に挑戦を続ける。当然、「學不可以已」はぶれない。

2009年6月、社長に就任。3カ月前に締めた08年度決算は、リーマンショックの直撃を受けて減収減益となり、海外子会社の損失もあって最終赤字に転落した。ちょうど『味の素』を発売して満100年。

「深・事業」で巻き返しに向かう。2つの標語を掲げた。「新しい価値の創造」と「開拓者精神」。冒頭の模擬実験や「ダマ」の解消に取り組んだ経験が、そのベースにある。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)