熱狂型の働き方をやめた「二度の入院」

筆者は6年ほど前から断酒している。アルコール依存症になり、急性膵炎で二度入院し、酒を絶つことを決意したのだ。酒を断たないと日常生活がぼろぼろになるどころか、下手をすれば命の危険まであった。

それまでフリーライターとして「熱狂型」の働き方をし、たくさんの仕事を受けることで生計を立てていた筆者は、根本的に働き方や生き方を見直さなければいけなくなった。酒の勢いを借りて仕事をしていたときもあった。果たして仕事を続けられるだろうか。変われるだろうか。

しかし実際に直面したのは「変わる」ことではなく、元あった場所に心を戻す営みだった。小学生の夏休み、朝起きて外の空気を吸い、「今日は何をしよう」と考えていたことを思い出した。当時のように世界が美しく、クリアに見えることはもうないかもしれない。だが、酒をガソリンのように飲み、「熱狂型」で生きて、世界がクリアに見えていたかといったらそうではなかった。「熱狂型」で生きることにより、見落としてしまっているものがあることに気がついた。

そして、そこにこそクリエイティブの原資が隠されていることも。熱狂するのではなく、平熱で、いろいろな事象にモヤモヤしながら生きるのは、退屈なことではなかったのだ。それに気づいたのは、34歳のときだった。

「モヤモヤ」とは、今を生きることである

その姿勢で1年間、毎日、原稿に向き合って完成したのが『モヤモヤの日々』という一冊である。39歳~40歳までの期間、筆者が見て、聴いて、感じたことを書き続けた。「徹底的な凡人」を自称する筆者にとって、それは冒険的な試みだった。しかし、「徹底的な凡人」が考えに考え抜き、奇抜なことを一切やらず、素直にそのまま書き続けることによって到達してしまうような境地があるのではないかと、筆者は考えていた。

だから、『モヤモヤの日々』は、「僕」という極私的な一人称にこだわった。極私的な一人称にこだわり、個人的なことを突き詰めて考えるからこそ、文章が普遍的なものになる。「僕たち」といったような大きな主語を使わないほうが、すべてを引き受けて書ける。それを読んでもらうことにより、誰かの生活や仕事が豊穣ほうじょうなものになる。その一点に賭けた。