怒りは相手だけでなく自分にも刺さる

では、なぜ怒りの感情を、なるべく手放したほうがいいのでしょうか。その答えはシンプルです。

怒りはあなた自身を傷つけるからです。

仏教には、怒りは毒であるとする教えがあります。「三毒さんどく」といい、人の善心を害する3つの毒を、「とんじん」といいます。「貪」は貪りのこと。「痴」は愚痴や悪口のこと。そして、「瞋」が怒りです。

三毒 貪るなかれ。愚痴をいうなかれ。怒るなかれ。

わたしがこの「三毒」をはじめて知ったとき、「怒りとは誰かに毒を吐くことなんだな」と解釈しました。怒りには、それをぶつける対象(相手)があるわけですから、毒を吐いて傷つけてはいけないのだと思ったのです。

しかし、やがて修行を続けるなかで、「そうか、怒りは自分にも毒を吐いているのだ」と腑に落ちるようになりました。

例えば、あなたが怒りに駆られて誰かを怒鳴ったとしましょう。その言葉は誰が聞いていますか?

もしあなたが怒鳴れば、怒鳴った瞬間、相手だけでなく、あなたの潜在意識や身体のすべてが怒りを聞いています。

これこそが、怒りは「自分に毒を盛る」行為に等しいという意味です。

「三毒」の真意を理解したとき、わたしは相手に向けていたはずの怒りの矢が、自分に向かって迫ってくるように感じました。

それまでのわたしは、怒りの感情にとらわれやすい人間でした。それゆえに、「怒ることは自分をも傷つけるのだ」と知ってはじめて、怒りは自分にとって必要がないものだと納得できたわけです。

桜の花の下に立つ僧侶
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医学的にも怒りは身体に悪い

すぐにイライラして怒りやすい人は、血圧が上がったり、血管が詰まりやすくなったり、ストレスで内臓が悪くなったりすることが医学的にもあきらかになっているそうです。

また、わたしたちの身体は、一つひとつの細胞がそれぞれの役割を持ってネットワークをつくっています。皮膚を少し痛めたとしても細胞が自然に治してくれるし、ウイルスが入り込んだら、命令しなくてもそれと戦って守ってくれます。

そんな細胞の一つひとつに、自ら毒を撒いて傷つけているに等しいと気づいたとき、わたしは大きなショックを受けました。

そして、「わたしはもう怒るまい」と決めたのです。

怒りの感情が「ただあるもの」だということは、簡単にいえば、それに自らが「とらわれる」のがよくないということです。

ただ、誰しも修行などをせずに、いきなり怒りを手放すことなんてできません。

だから最初は、「し過ぎはよくない」と考えるのがいいと思います。

ときにはイライラすることもあるけれど、怒り過ぎたり、イライラし過ぎたりするのはよくないと考えればいいのです。