教養科目として置かれる心理学は、どの大学でも大人気だが、取ってみてがっかりという声も案外よく聞く。

「人の心が読めるようになるかと思ったのに、何だか赤ちゃんの話ばっかりで……」。ははあ、発達心理学が専門の先生だったのだな。現実の心理学は領域的に細分化されているし、多くの学生が望む心理法則のインデックスのような授業をする先生は普通いない。このミスマッチから、期待外れという残念な評価が生まれやすいのだろう。

本書は認知心理学の立場から、日常生活で私たちが陥りやすい6つの錯覚(注意・記憶・自信・知識・原因・可能性)を取り上げている。学問的厳密さと結論の面白さが両立されていて、昨今のテレビドラマで披露されるマユツバ心理学に食傷気味の人には特にお勧めだ。

「注意の錯覚」の章では、「私たちがいかにものを見ていないか」を示す興味深い実験結果が提示された。被験者にバスケットボールの試合映像を見せ、パスの回数を数えるように指示する。実はビデオには仕掛けがあり、途中の約9秒間、ゴリラの着ぐるみを着た学生が選手の間に入り込み、カメラに向かって胸をたたいていた。ところが、被験者の約半数がパスを数えることに夢中で、ゴリラを見落としたというのだ! 非注意による盲目状態を例証したこの実験は全米で大反響を呼んだという。

「原因の錯覚」では、人は(1)わかりやすいパターンに飛びつき、(2)相互関係を因果関係と取り違え、(3)前後して起きたことに因果関係を見出しやすいという指摘がなされている。

『錯覚の科学』クリストファー・チャブリス/ダニエル・シモンズ著 木村博江訳 文藝春秋 本体価格 1571円+税

現在は科学的根拠が完全に否定されているのに、全米調査で29%の人が「はしか予防のワクチンは自閉症を引き起こしかねない」と信じていたのは、この錯覚傾向とメディアの報道姿勢の相乗効果によるものだ。

「可能性の錯覚」では、日本発の脳トレ・ゲームもやり玉に挙がっていた。計算・言葉探し・数独などのゲームを何度かやれば、そのゲーム自体の処理能力はたしかに向上するが、それが脳全体の機能を上げるという実証データは残念ながらないそうだ。むしろ、有酸素運動を続けるほうが脳にいい影響を与えるという。

本文では実験の詳細を省いて読みやすさを担保し、充実した注釈で補っている。最高レベルかは微妙だが、アメリカ人的ユーモアもちりばめられている。

大いに納得して読んだが、同時にこんな気持ちにもなった。注意の錯覚は、人々が自覚すれば交通事故の減少という実利につながるかもしれない。でも、脳トレくらいは、楽しくやればそれでいいのではないか。錯覚は、神様が人間に与えた贈り物のようにも思えるのだ。たとえば私がもう3年もやっていて、誰にも褒められたことのないこの書評欄。自分の文章は結構イケテルという「自信の錯覚」がなければ、とても続けられるものではない。