多様性を排除した横並び教育が日本を凋落させた

——何年も前から、やたらと「日本スゴイ!」と持ち上げるテレビ番組が目につくようになりました。

【池田】そりゃあ日本はスゴイよ。何がスゴイって、凋落の速度がスゴイ。

たしかに1990年ぐらいまでは経済的にはすごくて、まさにジャパン・アズ・ナンバーワンだったわけです。1989年に株価の時価総額の世界1位はNTTだったんです。それで5位まで日本の銀行が入っていた。50位までのなかに日本は30社以上が入っていたんです。それが2021年の暮れ、日本で50位内にランクインした企業は、トヨタ自動車だけ。41位でした。ほかはどこも入っていない。そこだけを見ても、日本はあっという間に経済的に疲弊したことは明らかだよね。

日本は「いっせいに」「みんな平等で」同じような仕事を効率よくやるということに対してすごく特化した国で、それが高度成長期にはマッチしていた。だからそういう感性は今でも強く残っていて、みんながAと言えばAに走るし、Bと言えばBに走って反対するヤツはみんなでバッシングするということにつながるんですね。

みんなでいっせいに「安くて良質な工業製品をつくろう」という時に「俺はそういうふうにはやりたくない」とか「俺は別のことを考えている」というヤツがいると作業効率が悪くなるから、周りから叩かれることになる。

だけど1990年代に入ってIT産業がアメリカで興り、それに対して日本は追い付くことができなかった。それはなぜかというと、多様性がなかったからです。日本ではずっと「みんな横並びの教育」で、上にのしてきたヤツはモグラたたきみたいに頭を叩く、という教育をやってきました。たとえばテストの答案にまだ習っていない漢字を書くと「それはまだ教えていないから書いちゃダメ」と教師がバツをつけるようなバカなことをやっていた。

モグラを打つゲーム
写真=iStock.com/laymul
※写真はイメージです

それはすなわち、すごく勉強のできる子をできないようにさせる教育です。アメリカなんかでは、逆にものすごく優秀な子は飛び級でどんどん上げて、そういう子が大学を10代で卒業しちゃうようなことだってある。そういう人を認めてきました。

スティーブ・ジョブズも幼少期は落ちこぼれだった

極端なことを言えば、スティーブ・ジョブズにしてもビル・ゲイツにしても義務教育レベルでは落ちこぼれだったわけです。日本だったら、ああいう人が出てきても「マイノリティでどうしようもないヤツだな」などと言われていたことでしょう。だけど、現実にはそういう人たちが今の世界的な大企業をつくったわけですよ。

土井隆義『親ガチャという病』(宝島社新書)
土井隆義『親ガチャという病』(宝島社新書)

しかし日本ではそういうことがなくて、ちょっとでも上に出張った人間は「決まったルールに従わない」なんて非難される。ルールが正義、みたいな話になっている。ルールなんてどうでもいいじゃないか、という考えがないのです。そもそも、なんのためにルールをつくるのか? それは、ルールをつくることでいろいろとうまくやるためなのだから、どうしても必要なこと以外、ルールなんて本来はなくてもいいはずなんだよね。

学校でも履物がどうのこうのとかスカートの丈だとか着ているものだとか、そんなことはどうでもいい。それなのにルールを守ることが目的になっている。完全に目的と手段が翻って本来手段だったはずのものを最終目的にしているのだから、それではどうしたって社会も学校もうまくいかない。

ルールに対して従順であるように、みんなすっかり飼いならされていて、国なり学校なりがルールを決めましたと言ったら、今度はそれに反している人間をバッシングしますよね。新たなルールができればそれをいち早くキャッチして、それまでのルールに従っている人間を見つけて「今度、こういうルールに変わったことをお前は知らないのか」とか言って、それで自分の優位性を保ちマウントを取ろうという、そんな人ばかりになっている。

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