オレンジ色のオレンジが新鮮、自然の象徴に

明るいオレンジ色で描かれたオレンジが広告など印刷メディアを彩った。これは、オレンジの完熟具合や新鮮さを視覚的に表し、「あるべき(自然な)色」が象徴的に描かれたものでもあった。歴史家ダグラス・サックマンは、カリフォルニアのオレンジ産業に関する研究の中で、CFGEは、オレンジの生産(実際の果物)および表象(広告など)を通してオレンジを技術的および文化的産物として作り出したと論じている。

そして、「自然と文化のハイブリッド(混成)」としてのオレンジは、人々が普段生活で目にする視覚環境、そして果物の色に対する見方をも変化させた。農業技術の発展によって物理的にオレンジを改良するとともに、オレンジ色で表象された果物は健康、新鮮さ、自然のシンボルとして構築されていったのである。

果物と色とを視覚的に結びつけ、オレンジを文化的産物として作り出したのは、広告や料理本だけではない。特に20世紀初頭の都市部では、道行く人々の注意を引くため、食料品店のショーウインドーに様々な商品を並べ、顧客を店に引き入れることが行われていた。

現在でも、例えばデパートや宝石店のショーウインドーなどは、季節ごとにファッショントレンドを取り入れた目にも楽しいディスプレイを見ることができる。こうしたショーウインドーは、すでに19世紀末頃にはパリなどヨーロッパを含め、都市の新たな視覚環境の一部として誕生していた。今ではファッション関連のショーウインドーが多いが、20世紀初頭には、食料品店の入り口近くに飲食物が並べられることもあり、オレンジもウインドーを飾るために用いられた。

よく色のついた農作物の方が高値で取引された

当時の広告代理店によると、明るく色づいたオレンジをたくさん並べることで、人目を引いたり店を魅力的に見せたりするだけでなく、大量に仕入れられていることから値段が安いと思わせる効果があったという。

後に20世紀半ばのデパートのショーケースに並んだ商品についてジャン・ボードリヤールは、「食料品や衣類のお祭り騒ぎは魔法のように唾液腺を刺激する」と述べ、さらに「市場、商店街、スーパーは、異常なほど豊かな、再発見された自然を装い」、「見世物的で無尽蔵の潤沢さのイメージ」を作り出していると論じた。これらは、半世紀ほど遡った食料品店のディスプレイとは規模も内容も異なるものの、ボードリヤールのいうように「見世物的」で「再発見された自然」、「無尽蔵の潤沢さ」は、すでにオレンジやその他の食品を敷き詰めた当時のショーウインドーが物語っている。

都市を行き交う人々は、日常的に視覚化された幻想としての豊かさや自然を目にし、カラフルなモノを物理的に商品として、また豊かさを象徴する記号として消費したのである。

オレンジの色は取引価格にも影響した。これは政府が定める野菜・果物の等級の中で、色は重要な基準の一つであり、満遍なく一定の明るさで色づいている商品は品質が良いものとされたからでもある。

例えば、1909年11月にニューヨークで取引されたフロリダ産のオレンジでは、「よく色がついた」ものは一箱当たり2ドルだったのに対し、「緑色で色づきの悪い」ものは1.25ドルだった。取引価格は、小売店で販売される価格にも反映されたため、色鮮やかに画一的な色がついた果物の方が値段が高く高品質であるという認識を消費者の間にも促すことにつながったといえる。