新たな武器は諸刃の剣

20歳にして、パラアスリートとして勝負する道を選んだ鳥海。それからは、「楽しくて始めたバスケットだったけど、楽しむだけじゃなく、プロとして向き合い、結果を出さないといけない」と意識が変わった。

20歳を迎えて記したメッセージ
鳥海選手のインスタグラムより
20歳を迎えて記したメッセージ

日本には車いすバスケットボールのプロチームはないので、日本代表の活動期間以外は、平日夜に行われるパラ神奈川SCの練習がベースになる。それに加えて、鳥海は日々個人トレーニングを重ね、ウエイトトレーニングをしたり、1日に朝、昼、夜と3度の練習をする日もあるという。

東京パラリンピックでメダルを獲るために、大胆な決断もした。9位に終わったドイツでの世界選手権の後、車いすの座面をそれまでより約20センチ高く上げ、車輪も25インチから26インチにして、攻守で有利になる「高さ」を求めたのだ。

これは、鳥海にとってひとつのターニングポイントでもあった。車いすバスケは、障がいのレベルによるクラス分けがある。最も障害が重い1.0から0.5点刻みで4.5まで8段階で持ち点が定められており、コートに立つ5人の持ち点の合計は14以内に収めなくてはいけない。

両脚を切断し、両手の指に欠損がある鳥海の持ち点は2.5点で、障害が重いカテゴリーに入る。2.5点の選手は「ローポインター」と呼ばれ、守備に配置されることが多いが、鳥海はオールマイティなプレーを持ち味にしていた。

これに高さを加えることで、自陣、敵陣のゴール下でリバウンドを取ったり、相手のボールをカットするスティールの確率が高まるだけでなく、シュートの際にブロックされる確率が下がるというメリットがある。

一方で、座面を高くすれば不安定になり、車輪が大きくなれば車いすが重くなる。自分の持ち味である圧倒的なスピードやチェアスキルに影響を及ぼしかねない、諸刃の剣であった。この新たな武器を自分のものにするために、鳥海は走り込みや体幹トレーニングを重ねた。

メンタルトレーニングの効果

メンタルトレーニングにも取り組んだ。これは日本代表がチームとして始めたことだったが、鳥海にとっても重要な意味を持った。

もともと、大舞台でもまったく緊張しない性格で、自身で「メンタルは強い」と自覚していた。しかし、トレーニングの一環で、練習中や試合中の感情を事細かに書き留め、感情の動きを客観視することで、明らかにプラスの効果があったという。

「まず、自分の感情傾向が見えたのが良かったですね。例えば、プレーがうまくいかない時、大きく分けて、落ち込むのか、苛立つのか、反省点をすぐ見つけるのかという3パターンに分かれます。僕は落ち込まないし、苛立ちもしないけど、反省はしてないかもな……とか、感情的ではないけど、次のプレーに思考が働いてなかったな……みたいなことに気づきました」