山縣ほどの注目選手は活躍したときだけでなく、良くなかったときもメディアの前に立たないといけない。大会開催時以外でも各メディアの個別取材がある。メディアとの“9秒台問答”は何百回にも及んだはずだ。

そのプレッシャーを知っていると、山縣のコメントはとても味わい深いものになる。

今回、布勢スプリントで9秒95(+2.0)の日本新記録を樹立した直後の心境については、「すごくうれしいのとホッとしている気持ちが大きいです」と話すと、「(追い風2m以内の)公認であってくれ……と思いました。(速報値の)9秒97でもうれしかったですけど、まさか日本記録の9秒95で出るとは思わなくて、2倍うれしくなりました」と笑顔を見せた。

そして9秒台、日本新、五輪参加標準記録の突破で一番うれしいのは? という質問には、「日本新記録……いや、9秒台です」と答えている。度重なるケガと、毎回風に嫌われる気象条件。日本人では4番目の到達になったが、追い求めてきたことがようやく実現した喜びを噛みしめていた。

低迷からの復活と3度目のオリンピック

振り返れば2019年と2020年は山縣にとって大きな試練の年となった。故障に苦しみ、日本選手権は2年連続して欠場。シーズンベストは2019年が10秒11(+1.7)、2020年が10秒42(-0.3)。何度も触れかけた9秒台からどんどん遠ざかっていった。

ランナー
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低迷した2年間、6学年下のサニブラウン・アブデル・ハキームが9秒97の日本記録を更新して、慶大の後輩・小池祐貴も9秒台に突入……。山縣のプライドはズタズタにされたはずだ。

それでも復活を遂げることができたのは、「絶対に9秒台を出してやる」という気持ちを切らすことなく、故障にも挫けなかったことだろう。筆者は、これに加え“新たな視点”で競技に取り組んだことが実を結んだと考えている。

取材していると山懸はメンタルが強いことがひしひしと伝わってくる。故障に対しても、「ケガは走りの課題を突きつけてくれるものだと思っていました。しっかり克服できれば良い走りができるはず」とポジティブにとらえていた。そんな山縣でも精神的につらい時期がないわけではない。一番つらかったのは半年前、コロナ禍の2020年冬だったという。

「肉離れなどは治る感じがあるんですけど、昨年痛めた膝は治っても同じ動きをしたらまた痛くなる。なかなか完治しないんです。だからこそ、動きから変えないといけません。大改革が必要でした」

山懸はコーチをつけずに、自分で考えるスタイルを貫いてきた。しかし、「変えなければいけない」という強い決心のもと、2021年2月、女子100mハードルの寺田明日香やパラ陸上の高桑早生らを指導している高野大樹氏にコーチを依頼。山懸は自分で考えるという基本姿勢は変えず、「コーチの目も頼りながら、最短距離で完成させていく」という方針に変更した。