でっかい話に落とさないと落ち着かないという職業病

【楠木】わかりました。文化の存続には、私もぜひ力になりたいと思いますけれど、その方法が、自分なりの考えを発表するとか、本を書くところで終わってしまう。東さんは、責任感が強いというか、器が大きいですね。

【東】いや、器が大きいというわけじゃ……いま言われて思ったんですが、これは職業病かもしれません。僕は20代の頃からメディアに出ていたんで、新聞記者などが訪ねてきて、「これからITと文化ってどうなると思います?」みたいな抽象的なことを質問されるのに慣れている。だから、なんかそれっぽく答えちゃう。

東浩紀氏
撮影=西田香織

【楠木】なるほど。私の場合は40歳過ぎまでメディアに出ることはそれほど多くありませんでしたから。

【東】でっかい話に落とさないと、オチがつかないみたいで落ち着かない。たぶん職業病です。でも『ゲンロン戦記』に書いたとおり、最近ではそれもむなしいと感じている。会社経営は雑務だらけですから、いまや頭の8割ぐらいそっちに使って、実際は残り2割ででかい話や未来について考えているだけです。でかい話ばかりじゃ、根っこがなくてふわふわしてくるんですよ。

僕は中高一貫の進学校から東大に入って、そのまま博士号を取って、最初の本でサントリー学芸賞をもらって論壇にデビューして……と本当に狭い世界しか知らなかったんですね。生活者とちゃんと接してないというのが弱点でした。

「社会は業者で成り立っている」と実感できた

【楠木】それは、特殊な才能をもつ人に固有の問題じゃないですかね。いずれにせよ、具体と抽象の往復を繰り返さなければ、迫力ある思考は生まれないと思っています。ゲンロンの経営で社会との接点ができたときに、空調設備の人やセキュリティ会社、食材配達、印刷業者、旅行業者……と、いろんな業者さんと接して感心する。こういう具体の次元にある経験が、抽象次元にある東さんの哲学をドライブしていく。この成り行きがすごくいいなと思いました。

【東】たとえばトークイベントでは、登壇者は「これは自分のイベントだ」と思っている。でも実際は、部屋の空調が効いていたり、観葉植物が置いてあったり、たくさんの人がそのイベントにかかわっている。観葉植物がなければ、何かもの足りない気分になるものなんですよ。

ゲンロンでも観葉植物を買おうとしたんですけど、そのときはじめてレンタルがあると知りました。「観葉植物をレンタルする業者があるんだ!」って。そうやって、いろいろ調べていくと、いろんな業種があって「社会は業者で成り立っている」と実感できるわけです。イベントに登壇したことしかないひとは、そういう想像を働かせることができない。