自分のマイナスを挽回するため、強硬姿勢に出た

私は中国側に「最終的に外交的・政治的判断で釈放可否が決まるはずだが、それまでの捜査・取り調べが法律的手続きに則り行われることが日本では大変重要だ。そのために仙谷長官はあと3週間が必要と判断している。ここは受けとめて、3週間は日本側に与えてもらいたい」と何度も述べて説得に努めました。

この交渉のさなか、事件当時は海保を管轄する国交相だった前原外相に対し、疑念が湧いてきました。本当に日中間にこうした密約があったなら、海保がそれを知らぬはずはないし、事件処理に当たる国交相に伝えていないとも考えにくい。産経新聞の今年9月8日付インタビュー記事で、前原氏は国交相として海保長官らから「逮捕相当」との考えを聞き、菅首相に伝えたとあります。

それは当然とは思うのですが、前原氏が密約を知りながらあえて踏み越えてみた、と見ることもできます。国交相として八ッ場ダム中止の失敗で負った自分のマイナスを挽回するため、強硬姿勢に出た……当時の私はそう感じました。

「米国のほうからそういう指示があった」

交渉は結果として中国側が「3週間拘留を黙認」という内容で2010年9月23日には終了。「まあ、ここまでかな」と考えながら帰国の途に就こうとしていた時、私の携帯電話が鳴ったのです。仙谷長官の秘書官からの伝言でした。

「中国人船長は明日、釈放することになったから。米国のほうからそういう指示があったから」

私は一瞬、放心してしまいました。菅・前原両氏が訪問中の米国で、クリントン国務長官が「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用範囲」と記者会見で発言しているのを見ました。「前原さん、やりやがったな?」が第一感。この時、初めて仙谷長官が「法的手続きを乗り越えて即時釈放」に転換せざるを得なくなったと感じました。

“交渉せよ”から“しなくていい”に指示が変更されたわけですから、この時仙谷長官に対し、前原氏というより菅首相の指示があった……と考えるのが自然でしょう。前原氏が言うように、菅首相が訪米前から「早期釈放」を指示していたら、3週間拘留延長のために私が交渉する必要などハナからないですから。この一連の流れで前原氏が得をし、「即時釈放」介入して中国に忖度した咎を負わされた仙谷長官が損をした、というのが実感です。