「比較意識」が強すぎる

このような人物を貫く中心的な特徴は「比較意識」の強さだ。

比較意識は、誰にもあるものだ。自分の現状が満足のいくものかどうかがわからないとき、「みんなはどうなんだろう」と気になる。

たとえば、自分と同年代の人たちの平均年収と比べて、自分の年収がかなり低いと不満が募り、挫折感に苛まれる。平均並みなら、まあこんなものだろうと納得する。平均をかなり上まわっていれば、おおいに満足し、得意な気持ちになる。

このように、他人と比較することで自分の現状を評価しようとするのは、誰もがやっていることだ。だが、このタイプは、その比較意識が異常に強いのだ。

2人のビジネスマンが対面し合って
写真=iStock.com/baona
※写真はイメージです

仲間が仕事で成果をだすと、自分が仕事で失敗したかのように落ちこむ。仲間が上司からホメられると、自分が叱られたかのような落ちこみを見せる。仲間が評価されるということは、自分が評価されないということと同じ意味になる。

「勝ち負け」の意識が強すぎる

比較意識が強すぎると、そんな感じになりやすい。だから、仕事でうまくいった仲間が祝福されていると、思わずこき下ろすようなことを口走ってしまうのである。

比較対象となるのは、身近な人たちだ。別の会社の人が大きな成果をだし、周囲から賞賛されていても、落ちこむことはない。いっしょになって「すごいなあ」と感嘆する気持ちの余裕がある。同じ社内で同年配でも、職種の違う人が成果をだしたのなら、とくにダメージを受けることはない。

似たような立場にあり、とくに年齢の近い人物、職場であれば身近な同僚が比較対象になりやすい。そのような人たちと自分をつねに比較し、勝利者であることを目指す。ゆえに、そのような人物の成功は、このタイプにとっては大きな脅威であり、なんとか引きずりおろしたいといった心理が働き、嫌みの一つや二つはいいたくなるわけだ。

この種の人は、頭のなかに「勝ち―負け」の図式が刻まれており、その枠組みのなかで自分が勝者でなければ気がすまないのである。