目の前の結果を見る環境が「予定調和」を生んだ

戦後の経済成長期は、人口の急速な増大を背景に需要が供給をはるかに上回る、つくれば売れた時代です。努力をすれば、それがそのまま結果に跳ね返るという市場環境も時代に勢いを与えました。他方では、民主主義という新しい考えが持ち込まれ、労働争議などによる混乱など、乗り越えねばならない壁もたくさんありました。しかし、すぐには解決しない面倒な問題に向き合うことに時間を割くよりは、組織人としてまっしぐらに目の前を見て、つくる、売る努力をすることが結果につながっていく時代だったのです。

ふり返ってみれば、物事の本質に向き合うというよりは、すでにある知識やスキルを応用して「どうやるか」を考えることにかけては非常に優れた能力を発揮してきたのが日本人だったということです。

国を挙げてみんなが復興という一つの目標に専心し、集中する。そのために必要とされたのは、働く人が何も考えず「働きバチ」のように目の前のことに集中できる安定した社会環境と、規律的な生産の体制です。

こうした時代の要請に見事にフィットしたのが、組織の安定を確実なものにする「予定調和の価値観」です。会社に忠誠を誓い、序列に従って各人が与えられた持ち場で役割を全うするという立場を守り、決められた結果に向かうレールの上をひた走る、という環境設計の中で日本人の勤勉な資質は存分に発揮されたからです。

政党から組合、宗教団体にまで深く根を張っている

予定調和というのは、個々の自由裁量やわき見、道草を認めない「閉じた組織」の価値観です。企業組織でいうなら、事実・実態を大切にして問題を掘り下げていくことは避けて、とりあえず表向きの体裁を整えることを優先する価値観です。何か起こるたびに立ち止まり、事実・実態から問題をつかんで究明するという仕事の仕方は時間がかかりすぎます。そんなことにいちいち手間を取られるくらいなら、とりあえずその場を収めて先に進むことを優先するわけです。

そうした価値基準を徹底し、予定どおりに組織だって動くために必要な規律を守って安定を乱さないように自己規制を促すものが、調整文化が発する空気だったのです。

私が「調整文化」と言っているのは、こうした戦後日本の急速な発展を下支えしてきた社会感覚、個人よりも国や組織の秩序を優先する強固な予定調和の文化のことです。

忘れてはならないのは、こうした考え方や価値観は、そもそも日本の風土的な思考・姿勢に則っていたため、極めて自然な形で私たちの会社生活を含めた社会生活全般に溶け込んでいるということです。

日本におけるさまざまな社会団体、業界組織や中央省庁、政党(保守、革新を問いません)、さらには労働組合や宗教団体までも含めて、極めて幅広い組織に深く浸透しているのです。伝統的か先進的かにかかわらず、日本の会社には上から下まで、今なお深く根を張っています。