武田信玄は自分のなかに確固たる規律を持ち、それに沿って決断を下していた。単なる頑固者ではなく、ロジカルな思考を重ねられる大名だった。

信玄は領国統治のため「甲州法度之次第」という分国法を制定している。156カ条にわたるこの法律では、家臣や領民の権利から年貢の取り決めまで、当時としては珍しく細かなルールが明文化されている。たとえば、争いをおこした両者に対し、その正否を論ぜず同等の処罰を与える「喧嘩両成敗」が日本で一般的になったのは、「甲州法度之次第」で明示されてからだともいわれている。

注目したいのは、「自分(信玄)が法度に違反することがあれば、誰でも投書で申し出るように」と書かれている点である。さらに「内容によっては自らも覚悟をする」とあり、信玄自身も法の裁きを受けるつもりだったことがわかる。

厳しいルールを設けるかわりに、自らが率先垂範して法を守る。この考え方は「コンプライアンス」や「内部統制」が盛んに叫ばれる現代の企業経営にも合致する。リーダー自らがルールを守らなければ部下の信頼を得ることはできない。トップダウンで物事が進んだとしても、ルールに則った合理的な決断であれば、部下の心が離れることはない。

信玄が「風林火山」と染め抜いた旗を戦場に掲げたのも、決断の基準を設けた好例である。孫子の教えは多岐にわたるが、そのなかでも「戦いにあっては、相手の裏をかき、常に自分が有利になるように臨機応変に行動すべし」という教えを、教養のない兵たちに理解させようとした。そのため、「風」や「林」といった自然を比喩にした一節を取り出したのだ。これはある意味、現代の企業の「ブランドメッセージ」にも通じている。旗に示すことで、リーダーの考えをたちどころに浸透させることもできる。

ただし、ルールにとらわれて、形式どおりにしか動けないようでは、進歩も発展も望めない。信玄は「渋柿を切って甘柿を継ぐのは小心者のすることだ。国持大名にあっては、渋柿は渋柿として役に立つものだ」といっている。渋柿は手をかければ干し柿になる。常識にとらわれて物事を一面的にしか見られなければ、結論は自ずと画一的になってしまう。物事の本質を見極めて、ルールを運用しなければ、決断を誤ってしまう。

信玄の生涯を見渡すと、最大の決断は、父・信虎を今川義元のもとに隠居させたことだろう。隠居といえば聞こえはいいが、実際は信玄と一部の重臣が謀って信虎を追放したのだ。当時、父親に刃向かうというのは、大変なことだ。人の道に反するとして、新しいリーダーに反抗するものが出てきてもおかしくない。

ところが、このトップの交代劇は驚くほどスムーズに進んだ。その理由は、信玄の決断に、私心がなく、家臣・領民の幸福のためにという大義があったからだ。信虎は甲斐統一という大きな功績を残したが、粗暴な振る舞いも目立った。性急に領土拡大を目指し、戦いに明け暮れ、人々に度重なる重税を課した。

孫子は「百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」といっている。その教えを応用し、信玄は戦わずして父の追放を実行した。そして、信玄は領主になってすぐ、「信玄堤」などの治水工事に着手し、領民たちが安心して耕作に携われるよう尽力した。それは国力増大になるうえ、農民が兵士を兼ねていたこの時代には、兵士の士気向上にも繋がった。この交代劇に異議を唱える人間がいなかったのは、信玄の決断に大義があり、法に適ったものだったからだ。

ブレのない決断を下すためには、自分の中に私心のない確固たる基準をもつことだ。現代のビジネスパーソンにも、この信玄の哲学をぜひ学んでほしい。

(プレジデント編集部=構成)