それは、京セラを創業する以前、稲盛さんが勤めていた碍子メーカー・松風しょうふう工業時代から書いていた手帳でした。ポケットに入る程度の大きさで、見開きの左側が1週間のスケジュール帳で右側がメモ欄の所謂ビジネス手帳。それが全部で20冊ほどあったでしょうか。ページをめくると、漢字とカタカナが交じった几帳面な文字で、その時々に起こったことや、そのとき自分がどう感じたかなどが、まるで写真を撮るように克明に活写されていました。例えば「今日、お客さんと会ったときにこんなことに気づいた」「明日、誰と誰を呼んで、注意しよう」ということまで詳細に書いてあるのです。

私が目にした稲盛さんの手帳は、いわばビジネス版の研究実験ノートのようなものでした。

大学で理科系を専攻した友人に聞くと、優秀な研究者の研究実験ノートには、実験中に「何をやったか」「そうしたらどうなったか」「どのように、どのくらい変化したか」などが具体的に、客観的に記述され、思いどおりの結果が得られなかった場合には「失敗」で片づけるのではなく、どうしてそうなったかまで考察して書き留められているとのことでした。理系出身の研究者でもあった稲盛さんの手帳は、同じように、その日の出来事が正確に客観的に几帳面に記されていました。しかし、それだけでなく、心理描写ともいえる記述も多数あったのです。

つとめて客観的であるべき実験ノートでさえ、書いた人の個性や心の在り様が表れます。実験で同じデータが出ても、強気の研究者は素晴らしい結果だと判断し、慎重な研究者はまだ不十分だと判断するかもしれません。

経営者となった稲盛さんが相手にしたのは、実験器具ではなく、社員であり、お客様でした。社員との打ち合わせやお客様との交渉などを正しくメモするためには、相手の心を見抜き、その心理状況さえも正しく理解する必要があります。そうでなければ、経営判断を誤ってしまうからです。そのことが明確にわかるような手帳でした。

私心があると、メモすらまともに書けない

そうできるようになるためには、まず、自分の心が澄み切っていなければなりません。エゴやよこしまな思いがあれば、物事を正しく見ることができないからです。稲盛さんは、そのためには自分はどうあるべきか、どのような想いを持つべきかをノートの端などにメモしていました。それが、稲盛さんの経営哲学の原型である「京セラフィロソフィ」へと昇華したのです。

稲盛さんは京セラフィロソフィについて、こう語っています。「根本にあるのは、『人間として何が正しいのか』ということ、つまり誰から見ても正しい考え方を貫いていくということです。そのような人間として最もベーシックな道徳、倫理をベースにしたものが京セラフィロソフィなのです」