不干斎(ふかんざい)ハビアンは戦国時代末期の人である。はじめおそらく臨済宗の禅僧であったが、のちに改宗して、キリシタンになった。仏教・儒教・道教・神道に通暁した学識豊かなイルマン(修道士)として、際立った活躍ぶりを示した。『妙貞問答』で仏教批判の先鋒を担ったが、突然、修道女を伴って棄教。晩年に『破提宇子(はだいうす)』という烈しいキリシタン批判の書を著して死んだ。一世において禅僧、キリシタン、背教者という振幅の多い経験をした人物である。

このハビアンを近世日本史上に輝く傑物と見る人もいれば、「転向者の元祖」、日本型インテリゲンチャの原型と見る人もいるし、山本七平のように「日本教徒」の祖型と解する人もいる。それだけ謎めいた、奥行きのある人である。にもかかわらず、ハビアンについての本格的研究がなされるようになったのはかなり近年のことである。

本書は現在入手しうる限りのハビアンについての文献資料を渉猟して、比較宗教学者で、自身浄土真宗の僧侶でもある釈徹宗がハビアンの思想と生涯の宗教学的意義を論じたものである。

「背教者」とどう向き合うか。これは私たちに突きつけられたアポリア(難問)の一つである。というのは、背教者、棄教者とは「おのれの誤り」「おのれの愚鈍」を認めることと引き換えに、「おのれの正しさ」「おのれの明察」を請求するからである。おのれの過ちを認め、おのれの愚かさを吟味できる知性を私たちはたしかに高く評価する。けれども、もし「おのれの明察」を請求するときのロジックが、かつて「愚か」であった彼が駆使したそれと同型的であったとしたら、この人の知性の構造は少しも変わっていないことになる。釈徹宗が本書であきらかにしようとしたのはその消息である。ハビアンは成熟したのか、ついに同じ人間のままだったのか。

ハビアンはたしかに棄教後その宗教的主張を反転させた。けれども、彼がキリシタンの教えの自家撞着を剔抉するときの舌鋒の冴えは、彼がかつて仏教や儒教を批判し尽くしたときと「冴え方が同じ」なのである。ということは、この人の知性の構造は、宗教的経験にかかわらず、本質的には少しも変わらなかったということになる。だから、彼がこの切れすぎる知性の「檻」に自分が取り憑かれているという事実に気づかない限り、ハビアンに真の宗教的ブレークスルーは訪れないのではないか。私はそう思った。けれども、著者はその同じ問いに私とは違う回答を用意する。結論に釈はこう記している。

「私はハビアンを単なる合理主義者だとは思えない。どうしても思えないのだ。非論理的な話だが、これは僧侶としての宗教的嗅覚としか言いようがない。(中略)私はハビアンがとても宗教的な人間であったことを確信している。ハビアンは生涯、豊かで成熟した宗教性を保持し続けたと思う」(237ページ)

私はこの「僧侶としての宗教的嗅覚」という言葉の切っ先の鋭さに驚かされた。全編、不干斎ハビアンの知性の構造を比較宗教学のルールに則って解明してきたその最後になって、釈はハビアンの知的活動を賦活してきた情熱のうちに、その宗教性の豊かさと成熟を発見するのである。私はこの予想外の結論に、宗教学者ではなく、宗教者としての本領を感じた。(文中敬称略)