マスメディアに登場することは一切なかった、知る人ぞ知る伝説のコンサルタントがいた。5000社を超える企業を指導し、経営者を叱り飛ばす姿から「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持った一倉定氏だ。一倉氏に叱られた社長たちのその後とは——。

※本稿は、作間信司『一倉定の社長学』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

日本の赤い郵便ポスト
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工場見学は「玄関を見ただけ」で終了

一倉定先生は、会社の「環境整備」について非常に重要視されていた。『一倉定の社長学全集』でも、講義の中でも、「環境整備は社員に意識改革を起こす」とまで紹介されていたが、最初は多くの社長がそこまでの重要性を実感していない。

K社長は先生の経営哲学を長年勉強し、やっと工場を見ていただこうと遠路、先生を招いた。ところが、車で本社工場に着いて玄関のドアを開けようとした瞬間、「なんだ! このガラスの汚れは! これでは工場を見るまでもない」と言って、先生は本当に東京へ戻ってしまった。

先生が個別指導で地方に1日がかりで行くのには相応の費用がかかるのだが、10分で帰ると言われては正直たまらない。しかし、K社長はこの出来事によって、「目が覚めた!」と言われている。自分が勝手に考えていた「ピカピカ基準」と「先生のピカピカの徹底基準」がこんなにも違っていたと述懐されているほどだ。

K社長は環境整備の取り組みを徹底した。その成果で会社は今では地元の超人気店となり、連日満席が続いている。店舗数もゆっくりではあるが着実に伸ばしているそうだ。