興味深い「仏教と元号」「仏教と天皇」との密接な関係

実は、お寺(日本仏教)にとって、元号は欠かせない存在だ。なぜなら、お墓、戒名を記す位牌、過去帳など「死者の記録」は元号で記されるのが通例であるからだ。

お墓の刻まれる命日は元号表記が通例だ(京都市東山区の大谷祖廟にて)。撮影=鵜飼秀徳

「お墓に彫る享年は、西暦のほうがわかりやすいでしょ」という人がいるかもしれない。合理的な考え方でいえば、回忌法要の年の計算がしやすい西暦表記のほうが、お寺にとってはいいに決まっている。しかし、西暦はイエス・キリストが誕生したとされる年を元年とする。なので、仏教に関係する墓や戒名に、西暦を採用するのはちょっと変であろう。

元号と仏教が密接だった証拠に、名刹(めいさつ)の名称に注目したい。元号が寺号に転用されたケースは少なくない。延暦寺(えんりゃくじ)は延暦7年(788年)に開山した寺院だ。同様に仁和4年(888年)には仁和寺が開かれた。元号を寺の名称に使った例は他にも建仁寺(けんにんじ)、永観堂など、かなりある。

さすがに、「明治寺」「大正寺」「昭和寺」「平成寺」などはないだろうと思っていたが、ネットで検索しその所在地などを確かめると、それぞれ本当に存在することがわかった。きっと「令和寺」もそのうちできるのだろう。

「明治」はくじ引きで決められた

元号制定過程に目を転じれば、「明治」のケースが興味深い。出典は古代中国の易経(占いの体系書)である。「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」(聖人が南に向いて政治を聞けば、天下は明るい方向に向かって治る)から、引用された。

明治が占いに基づく元号であることもさることながら、複数の元号候補の中から、くじ引きで決めたというエピソードが伝わる。明治神宮のホームページにその詳細が書かれているので紹介しよう。

「明治改元にあたっては、学者の松平春嶽(慶永)がいくつかの元号から選び、それを慶応四年(明治元年)九月七日の夜、宮中賢所(かしどころ)において、その選ばれた元号の候補の中から、明治天皇御自ら、くじを引いて御選出されました」

当時は、それまで混じりあっていた神道と仏教とを切り離す「神仏分離政策」の渦中であった。明治の元号制定では、維新政府が王政復古、祭政一致を国民に強く印象づけるために、あえて「神託」という呪術的な形態をとったとの見方ができるだろう。