労働の商品価値

この問題は非常に単純そうに見えますが、他人の行為を禁止するときに、どんな根拠にもとづいているのか、そもそも根拠などあるのだろうかと考え始めると、なかなか答えが出しづらかったのではないでしょうか。

自由に商品を売買する社会が資本主義の大前提です。Aさんが商品を、Bさんがお金を持っていて、商品とお金を交換する。このとき「いくらで売れ」と暴力的に強制するとか、地位や身分で値段を設定するのではなく、対等の立場で、両者が合意した場合に交換が成立する。これが資本主義の最も基本的な原則です。

一方が売りたいと思っていても、買う人がいなければ安くなってしまいます。あるいは、積極的に売りたくなくても、高値で売れれば仕方なく手放してしまうかもしれません。市場がどう判断するのかは非常に重要です。

マルクス主義では「結婚は合法化された売春」

マルクスは人間の身体を労働力という形で商品化し、概念化しました。商品所有者は商品を売ってお金を得る。では、商品を持っていない人はどうするかというと、自分の身体によって商品をつくる能力が商品である、というのです。「労働力商品」とマルクスは呼んでいます。

賃金は労働力という商品に対する対価だし、それをいくらで評価するかは、その人が持っている能力によって変わってくる。たとえばお医者さんは商品価値が高い、マクドナルドのアルバイトはそれと比べて専門的な能力はいらないので賃金は安い、というように。社会的なニーズ、商品の付加価値の違いが、賃金に反映されます。

売買春は、こうした資本主義の原則にもとづいています。ロックの身体自由論にも基本的に合致しているし、ミルの他者危害則にも合致している。ならば、これを否定する根拠はあるのでしょうか。

売買春は「被害者のいない犯罪」といわれます。他人から奴隷のように強制される売春は論外として、身体を売る側と買う側の自由な合意のもとで、資本主義の大原則にのっとり成立した売春においては、いったい誰が被害者なのか。

マルクス主義的にいえば、「結婚は合法化された売春」です。制度化されれば結婚、制度化されないと売春ということになるのかもしれません。

このように、犯罪とみなされるような行為に関してであっても、資本主義の原則のもとで考えた場合、自由を否定する理由を見つけるのはとても難しいのです。

岡本裕一朗(おかもと・ゆういちろう)
玉川大学文学部 教授
1954年生まれ。九州大学大学院文学研究科哲学・倫理学専攻修了。九州大学文学部助手を経て現職。西洋の近現代思想を専門とするが興味関心は幅広く、哲学とテクノロジーの領域横断的な研究をしている。2016年に発表した『いま世界の哲学者が考えていること』は現代の哲学者の思考を明快にまとめあげベストセラーとなった。他の著書に『ポストモダンの思想的根拠』『フランス現代思想史』『人工知能に哲学を教えたら』など多数。
(写真=iStock.com)
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